8月は、6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、そして15日の敗戦記念日がありますので、平和について考えざるを得ない月です。
「平和」と聞くときに、わたしたちはまず戦争をしていない状態を、思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、たとえ戦争をしていなくても、
餓えや貧困に人々が苦しみ、環境が破壊され人権侵害が起こるなど、「いのち」が蔑ろにされている状態にあるのなら、それは平和な状態であるとは言えません。
奇妙なことに、わたしたち人間は「正義と平和」のためという、お題目のもとに戦争を始めます。この正戦論の立場からは、武力で「悪である敵」を、うち伏せること無しには「平和」は実現せず、「戦争」は「平和」への大切なプロセスですらあります。
旧約聖書の戦いの考え方には、確かに〝万軍の主が戦う〟のだから、わたしたち人間も武器を持って戦うという考え方の流れを見ることが出来ます。しかし、その考え方はあくまでも支流にしか過ぎません。旧約聖書の戦いの考え方の本流は、〝万軍の主が戦う〟のだから、わたしたち人間は武器を手にして戦う必要が無いのだというものです。神さまが戦ってくださるのだから、その神さまに信頼するときに、わたしたち人間は武器を手に戦う必要がないというのが、わたしたちの信仰に他なりません。
やはり「平和」の実現には、「戦争」は必要ありませんし、武力を用いて実現される「平和」は、「キリストの平和」には程遠いものだとしか思えません。なぜならば「正義と平和」とは、すべての人、ひとりひとりが大切にされる状態の実現だからです。
世界経済フォーラム(WEF)が発表した、2023年のジェンダーギャップ指数は125位で、過去最低でした。驚くべきことにWEFの報告書では、世界の男女平等の達成は「2154年」になると予測されており、わたしたちが生きている間には、男女平等は実現しないことが指摘されています。また、難民・移民の人々をより困難な状況へ追い込む、入管法の改悪が6月の参議院本会議でなされました。LGBTQ+への理解を増進し、差別を解消することを目的としていた「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(LGBT法)も同じ参議院本会議で成立しました。このLGBT法も当事者からは「無い方がマシ」と評価されているように、むしろ差別することを容認する方向に働く可能性を持った法律が成立しています。このように、わたしたちの社会は、多様性を許容することが出来ない残念な状況に未だあります。
多様性を、人と違うことを認められないのは、わたしたちの社会がひとりひとりを大切にしていないことの証拠です。互いの違いを認められず、受け入れ合うことが出来ない社会は、争いを生み、いのちを奪い合う生き方に、わたしたちを追いやって来たのです。
改めてこの8月に、わたしたちの歩みが平和に向かう歩みになるように、ひとりひとりの人を大切にするには、どう変われば良いのかを考え始めたいと思います。
司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マタイ教会牧師)