毎度おなじみの園長室。今日も朝晩と園児たちが園長室へと襲撃してきます。ある日、年少組の園児が「抱っこして」と両手を広げて走り寄ってきました。残念ながら電話対応していたので、「今は抱っこ出来ないな~」と返事をしてしまいました。そして、その日のお迎えの時にお母さんにその話をすると、「子どもが大きくなったので、私があまり抱っこ出来なくなってしまったんです」とポツリ。そうだったのかと思い、じゃぁ今度は抱っこをするぞ!と意気込んでいると、翌朝も両手を広げながら「抱っこしてごらん」と言いながら走ってきました。これには思わず声を上げて笑ってしまいました。そして、抱っこをすると「ほら、抱っこ出来るじゃん」と言って園児も笑顔をみせてくれました。
上田聖ミカエル及諸天使教会の聖堂内には地元出身の芸術家・中村直人作の赤ちゃんイエスを抱いた母マリアの像が安置されています。この姿を見ているとクリスマスというのは神さまが一人の小さな赤ちゃんとして、私たちに来て下さった日なんだなと思いを馳せます。神さまが赤ちゃんという無防備な姿でこの世においでになり、私たちに抱かれる存在として近づいて下さったことは、クリスマスを通して神さまは「抱っこしてごらん」と私たちに語りかけ、寄り添って下さっているように感じます。イエスさまはこの世に生まれた時、その姿は一人の弱く小さな赤ちゃんでした。私たちは日々の生活の中で仕事や家庭、人間関係の悩み、不安や孤独、時には未来への不確かさが重くのしかかることがあります。忙しい日々の中で、どこか心が張り詰めたまま、抱え込んでしまっているものは何でしょうか。イエスさまは私たちに心を開き信じて委ねておられるのに、私たちはイエスさまを信じて委ねているでしょうか。神さまが人となり、私たちに触れる存在となって下さっているのは、私たちも互いを抱きしめ、寄り添うことができる存在なのだよ、というメッセージなのかもしれません。そして、私たちもイエスさまに「抱っこしてごらん」と祈ってみてもいいのではないでしょうか。私たちの心に湧き上がる恐れや不安、孤独を、神さまの温かな愛に抱きしめられ、自分だけで抱え込まず、神さまの手に委ねてみてもいいのではないでしょうか。人として私たちに会いに来て下さった、このクリスマスの出来事を通して、神さまからの愛に倣い、互いを抱きしめ、共に生きることの大切さ、そして、家族や友人、教会の方々とともに、私たちが一つの信仰の家族として支え合うことのできる恵みの機会にしたいと思います。私たちが互いを温かく抱きしめ、重荷を共有し、愛を持って仕えることで神さまの愛をさらに深く感じたいものです。
今日も元気に笑顔で「抱っこしてごらん」と言いながら園児は走って園長室へ入ってきます。抱っこ出来なくなるその日まで抱っこをさせて下さい。抱っこしたあなたの温かさを分かち合いたいのです。そして、ひとりでも多くの方が温かなクリスマスを迎えられますように、心からお祈りいたします。
司祭 フランシス 江夏一彰
(上田聖ミカエル及諸天使教会・
軽井沢ショー記念礼拝堂牧師)