『「聖イグナチオの霊操」』

暑い8月は、 ヒロシマ、 ナガサキ、 戦争を思い起こさせる。
イグナチオは、 まさにその現実の血腥い戦争において活躍していた騎士であった。
イグナチオはスペイン・バスク地方の貴族の家に生まれ、 文武の教育を受けたが生活は乱れていた。 1521年、 敗戦のなかで、 イグナチオは最後まで城壁を守ることを主張した。 その時、 砲弾が破裂し、 彼の足に当たり、 瀕死の重傷を負い、 片足が短くなった。
イグナチオは短い足を伸ばす手術の後、 人の世のはかない名誉よりも、 神の栄光のために奉仕する決心をし、 一切の武具を放棄し、 ロヨラ城を出て、 バルセロナ近くにあるマンレサの洞窟にこもった。
長期間、 祈りと断食の生活をし、 キリスト様に出会い、 その経験から 『霊操 (霊的エクササイズ)』 の草案ができあがる。
それは、 祈りを深めるための体系的プログラムであり、 さらには、 人を生かすために悪霊の群れとの霊的戦闘において勇敢に戦う戦士を養成するための、 新兵訓練プログラムと言うべき激しさを持つ。
とにかく忙しいお祈りの連続で、 一ヶ月もかかる祈りの最後には歓喜が待っているという。
私も、 英隆一朗神父様が1日1時間で霊操できるように工夫された 「息吹をうけて」 というテキストを用いて、 ノートをつけながら 「キリストに出会って変えられる」 ことを願って2月22日から始めてみた。 私の場合、 小さな恵みが積み重なって、 かなり戦闘的?になったと感じている。
例えば、 4月に母が亡くなった時、 火葬炉の前で3分ほど証をさせていただいた。
「私の母の生涯は、 聖歌357番にそっくりです。 それゆえ、 私はキリストを信じることができます。」 と。
「息吹をうけて」 を自分なりに要約するとこんな祈りとなります。 黙想の助けになったら幸いです。
* * *

人生を5つの期間に分け、 写真アルバムを開き、 そのときに与えられた恵みを書く。
同じく、 自分の罪をリストアップする。
世界にどのような罪・苦しみがあるか味わってみる。 戦争、 災害、 病気、 不況…
神の怒りを味わってみる。
羊飼いと一緒に幼子イエス様を礼拝しに行くことを想像する。
3人の博士が贈り物を捧げるのをよく観察する。 私はイエス様に何を捧げようか。
悪魔の陣営・戦略・派遣をイメージする。 富の欲求、 虚栄心、 傲慢心。
キリスト様の陣営・戦略・派遣をイメージする。 心の貧しさ、 実際の貧しさを願う。 侮辱・蔑みを厭わない謙遜。
イエス様とともに宣教し、 十字架の道を歩いていこう。
最後の晩餐に弟子たちと共に参加してみる。
十字架上のイエス様との対話。 その最後、 その死の場面を味わってみよう。
復活した主の、 喜び、 愛、 栄光に焦点をあてて味わう。
すべてにおいて神様を見いだすこと。
キリスト様はあなたに今ここで何を望んでおられるか。
* * *
このような激しい訓練を続けて遠く日本に派遣されたのがフランシスコ・ザビエルであり、 その鹿児島への上陸は8月15日のことであった。

司祭 ビンセント 高澤 登
(飯田聖アンデレ教会協力牧師)

『マリア・ワルトルタ』

わたくしは、マリア・ワルトルタが書いたイエス様についての書物を知ると、人生は3倍豊かに成る、と勝手に思っています。
『マグダラのマリア』 あかし書房からの抜粋で、マリア・ワルトルタをご紹介します。
1896年、南イタリアのカゼタで、愛情あふれる父と、きびしく変わった気質の母親のもとに生まれる。母の干渉で結婚話が2回とも実らず、愛することなしに生きることが考えられなかった彼女は人間の愛情のはかなさを知って、最大の愛である神に至ることになる。
1917年、第一次世界大戦時にボランティアで看護婦になり、フィレンツェの軍病院で 「下級」 兵士の世話をして献身的に働いた。
1920年、突然、後からついてきた子供に、ベッドからとった鉄棒で力いっぱい背中を打たれるという事件に遭い、それから心身ともに苦しむこととなる。1934年からはもうベッドから起きることはなく、死ぬまでの28年間、病人生活を送る。
病床の間、「神と人なるキリストのポエム」 という、ノート1万5千ページにもわたる原稿を何の推敲もなく、わずか数年の間にしたためる。
この著作について、彼女は 「天から与えられたヴィジョン」 によるものであって、自分は神の手の 「ペン」 または 「道具」 と言い続けた。
1961年、65歳でこの世を去る。
彼女の著作では、イエス様の生涯、すなわち聖書の福音書が映像のようにあざやかによみがえり、人物が語り、現代人に改めて生き生きとした福音を聞かせてくれる。その仕事は自然的に説明できないものであるともいわれる。
「素晴しい本」、「最高の輝き」、「美しい奇跡の本」、「全人類が読むべき本」 とあらゆる賛辞が寄せられる10冊の本はわたくしの宝です。
マリア・ワルトルタ描くイエス様は長身、ブロンド、空色と言うか、サファイア色の瞳、声はバリトン…と詳しく、白や水色の着物などのファッションも細かいので、目の前3メートルにイエス様がいるかのようです。ペトロ、聖母マリアに詳しいだけでなく、イスカリオテのユダが生き生きと描かれます。
神様のお名前はヤーヴェと発音され、マグダラのマリアはマルタとマリアのマリアだとか。一部をご紹介しましょう。
「露の最も小さい一滴にも、その存在のよい理由がある。最も小さい、うるさい昆虫の一匹にも存在するよい理由がある…神経をいらだたせて衰弱させ、この世での一日を苦しくする様々の疑問に打ち勝つための秘訣は、神が知恵深く、または、あるよい理由のために全てを行うと信じ、神が行っていることすべて、人を苦しめるための愚かな目的のためではなく、愛のためであると信じることである」 読むだけで恵まれます。感謝
司祭 ビンセント 高澤 登
(飯田聖アンデレ教会協力牧師)