子どもたちに伝える平和のための資料展

2019年7月3日(水)〜11日(木)9時~21時(3日は12時から・11日は15時まで)、ぎふメディアコスモスにて開催されます岐阜市主催の「子どもたちに伝える平和のための資料展」におきまして、岐阜空襲に関係して岐阜聖パウロ教会の史料が展示されます。
7月2日(火)付の岐阜新聞の1面及び社会面に掲載されました建物疎開のための「譲渡令書」(複写)も展示されています。どうぞお立ち寄りください。

教会の政治的発言は、「政教分離」に反するの?

2月21日(木)、主教会と正義と平和委員会は、『天皇の退位と即位に関する声明「大嘗祭への国の関与は政教分離の原則に反します」』 を出して、大嘗祭を公的な行事とし国費を支出することが日本国憲法第二十条の「信教の自由の保障・政教分離」に反していることを指摘しました。また大嘗祭を公的な行事として位置づけることで、天皇が特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧し、強く抗議をしています。

教会が政治的な発言をすると、マタイ福音書22章21節「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」という聖書の言葉を引用して、「政教分離の原則に反する」という批判を目にすることがあります。しかし、政教分離の原則は、わたしたちの日本では信教の自由と分かちがたく結びついていて、思想、信条自由や言論の自由とも深く関係するものです。憲法第二十条は次のように規定されています。

憲法 第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

この憲法第二十条第三項にあるように、政教分離の原則とは国家が宗教と分離していることを意味します。言わんとしていることは「国家と宗教」の分離であって、国家が特定の宗教に関わりを持つことを否定する原則で、基本的人権の信教の自由を保障するものです。「政」という漢字が使われてはいますが、政教分離の「政」は「政治」でも「政党」でもなく、「政治と宗教」の分離を言っているのではありません。

日本国憲法第二十条第一項の後段「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」を引き合いに出して、宗教団体が政治活動をすると政教分離に反するという誤解もあるようです。この規定は、国から特権を受ける宗教を禁止し、国家の宗教的中立性を明示したものです。

日本国憲法の精神が求める政教分離の原則は、戦前に国家と国家神道が一体となってアジアの多くの人々と日本の国民の命と基本的人権を侵害したことへの反省から規定されているものです。このことを抜きにして、この政教分離の原則と信教の自由を考えることは出来ません。繰り返しになりますが、国家の宗教的中立性を要求しているのであって、宗教者の政治的中立を要求しているのではありません。

むしろ、日本国憲法は「結社の自由」を保障しており、宗教団体にも結社の自由があります。神を信じるものが集まって宗教団体を組織することはもちろん自由で、その宗教団体が、自らの信仰に基づいて政治活動をすることも禁じられてなどいないのです。

むしろ教会は政治体制に拘束されることなく、福音宣教によって神さまの言葉を宣べ伝え、イエスさまの言葉と行いに基づいた、キリストの価値観をこの世に示していくことが、わたしたち教会の大切な責任ですらあります。

ですから、今回の「天皇の退位と即位に関する声明」は、過去にキリスト教会が「社会的儀礼」であるとして、信徒の神社参拝を許してしまい、日本国家と国家神道が一体となって、戦争に邁進することに協力をしてしまったこと、預言者的使命を果たすことが出来なかったことへの反省としても、教会の意思を表明せざるを得ないものなのです。

基本的人権は神さまによって与えられたものです。国が政教分離の原則をないがしろにし、基本的人権を侵害しようとするときには、教会は、聖書の言葉に従ってそれを正して行く預言者としての役割を果たさなければならないのです。

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マルコ教会・愛知聖ルカ教会牧師)

〝北海道教区と中部教区〟

去る5月16日(木)から18日(土)、北海道教区の教役者会と教区成立145周年記念の教区礼拝に参加させていただきました。教役者会では講話を、教区礼拝では説教をさせていただきましたが、北海道教区の空気を肌で感じることもでき、また、中部教区のことも少し報告させていただきました。他教区のことはなかなか分からないことが多いのですが、小さくてもこのような交流を通してお互いをより良く理解することができるのではないかと感じました。

実は、北海道教区と中部教区とはお互いに初期の宣教段階では関わりがあります。中部教区の宣教は1875年(明治8)、英国聖公会宣教師のP.K.ファイソン司祭によって新潟で始められましたが、ファイソン司祭は後に北海道教区初代の主教になっておられます。ですから、ファイソン司祭(主教)の働きを通して中部教区と北海道教区とはつながっているとも言えるのです。

ファイソン司祭は新潟で7年間宣教されましたが、その間、10名ほどの受洗者があったと「教区のあゆみ」には記されています。その内のお一人が後に中部でも働かれた牧岡鐵彌司祭で、もうお一人が芥川清五郎師です。芥川師は後に北海道教区で伝道師になり、バチェラー司祭のもとでアイヌ伝道にも従事された方です。そんなつながりも北海道教区と中部教区にはあるのです。(芥川先生のお孫さんたちにもお会いできました。)貴重な経験に感謝でした。

7月10日(水)には教区逝去教役者記念聖餐式が行われますが、当日は丁度、森紀旦主教様の逝去1周年に当たっています。敦子夫人と主教様の妹さん、弟さんも出席される予定になっています。主教様の葬儀は東京で行われましたので、当日は教区としての逝去記念式の意味も含まれます。皆様のご出席をお願いいたします。

主教 ペテロ 渋澤一郎

〝塗油のすすめ〟

去る4月18日・聖木曜日、聖油聖別の聖餐式が行われました。聖油は祈祷書の「病人訪問の式」の「塗油」で使用されます。祈祷書には、「教会はその初めから病人に塗油し、その体と魂の回復を祈ってきた」とありますが、新約聖書のヤコブの手紙の「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます」から来ています。また、福音書にも使徒たちが油を塗って病人を癒したこと書かれていますので、塗油はイエス様の大事な業の一つなのです。

塗油は病気の人の体と心の癒しを目的としていますが、多くの場合、病気がかなり重篤になってから用いられることが多いようです。塗油は決して終わりに用いるものではなく—もちろん、その場合にも使われますが—体と魂(心)の回復を祈るものですから、どんな病気に用いてもいいのです。風邪をひいて熱がある、というような時でもいいのではないでしょうか。塗油は決して魔術ではありません。主イエス様の名によって祈ることが大事なのです。その祈りと共にイエス様がいてくださり、病気の人が身体的にも精神的にも元気になるように—起き上がることができるように—力を与えてくださるのです。聖油が大いに用いられますように。

4月6日、退職されて大阪にお住まいであった村岡明司祭が91歳で逝去されました。村岡司祭は1986年、大阪教区から中部教区に移籍され、主に上田、軽井沢で宣教・牧会に従事されました。今日の軽井沢ショー記念礼拝堂の基礎も築かれました。村岡司祭の魂の平安をお祈りいたします。

切り株のように

数年前に太い枝の落下が相次ぎ、事故防止のため2本のモミの大木を伐採した。少々淋しくもあったが陽光がよく射し込むようになり、冬期に礼拝堂前の地面が凍り付くこともなくなった。司祭館の執務室から目線を上げると、その一つの切り株がいつも正面に見える。しばらくして、その切り株で興味深い現象が日々繰り返されていることに気がついた。年輪を数えたり、腰を下ろして休んでいる光景を目にすることが多いのだが、若い世代や子どもたちは切り株を舞台にしてポーズを取りながらスマホ撮影を楽しんでいる。春や秋には長時間座って読書をしたり、絵を描くといった姿もしばしば見かける。しかし何より興味深いのは、目の前に建つ礼拝堂に足を踏み入れる人は来訪者の半数にも満たないのに、切り株には洋の東西を問わず、また年齢、セクシュアリティ等を超えて、あらゆる人々が引き寄せられているということだ。切り株には何か人間の本能をくすぐる不思議な力が備わっているのではないか…とさえ感じる。

切り株で思い起こすのは、子どもの頃日曜学校で観た「それで木はうれしかった」というスライドである。その原作はシェル・シルヴァスタインの絵本『The Giving Tree』であることを後で知ったが、10年ほど前に村上春樹氏が翻訳したことで少し話題にもなった。その内容は、一本のりんごの木と一人の少年との関係が、少年の子ども時代から老年に至るまでの生涯にわたって描かれている。木は少年が成長していく節々で、求めに応じて自らの果実を、枝を、そして幹をすべて与え続け、最後には年老いた少年にゆっくり座って休むための切り株を提供して話は終わる。木が自らを与え続ける度に繰り返されるフレーズが「それで木はうれしかった(And the tree was happy)」である。この絵本は様々な観点から読まれる必要があるとは思うが、かつて日曜学校で初めてこのスライドを観た時、子ども心に強烈な印象を受けたことを覚えている。純粋に神さまとはこのりんごの木のような存在なのだと理解した。特に、人生のたそがれを迎えた老人が木に促されて切り株に腰掛ける最後の場面は、その余韻とともに脳裏に深く焼き付いている。そして、その時に感じた神さまのイメージは、私の中で今なお根本的には変わっていないように思う。

主イエスのおられる所には、いつも大勢の人々が集まって来たことを各福音書は伝えている。その人々を主イエスは愛をもって受け容れ、一人ひとりが神さまの豊かな祝福のうちに生かされていることを教え、そして言われた。

「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)その主イエスの人々に対する溢れる愛は、最終的にはご自身を献げるという形で、十字架の道へと繋がっていった。孤独と苦しみの極限状態の中でも、主イエスの人々に対する愛は変わることはなく、それどころか何度も主を裏切り、自己本位に生きようとする弱い人々(=私たち)のために祈ってくださった。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」(ルカ23:34)

過去最長の10連休となったゴールデンウィークが終わった。この連休中も切り株の周りでは観光客が賑わい、多くの人々の人生の一コマが刻まれていった。やがて殆どの人の記憶からは忘れ去られていくのかも知れない。しかし、その一人ひとりの尊い人生の一コマを、いつもどっしりと、静かに無条件に受けとめている切り株の姿に、主イエスが重なって見えた。そんな切り株のような存在に、少しでも近づけたらと思う。
(引用の聖句は、聖書協会共同訳を用いました。)

司祭 テモテ 土井宏純
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師)

お知らせ/Notice

+主のご復活をお喜び申し上げます。
大型連休中の問い合わせ窓口についてお知らせいたします。

・中部教区センター
4月27日(土)~5月6日(月) 予約・会議を除き休館。
留守電、メールでお問い合わせいただいた件は、5月7日(火)以降に対応いたしますので、ご了承ください。

・中部教区各教会への連絡
電 話・・・各教会へ直接お問い合わせください。
※可児聖三一教会の電話は中部教区センターへとつながりますので、5月7日(火)以降にお願いいたします。

メール・・・ホームページ経由のお問い合わせについては、一旦教区センターへ送られます。転送が遅くなる場合がありますので、お急ぎの方は、各教会へ直接お電話をお願いいたします。

主に在りて
中部教区センター


Notice

Happy Easter

Chubu Diocesan Center
Please note that we will be closed during Golden Week from Saturday, April 27 to Monday, May 6. Inquiries by phone or email during the above dates will be replied after Tuesday, May 7.

Churches of the Diocese of Chubu
Please contact each church directly for inquiries.
※ The telephone number to Kani Holy Trinity Church on our website is directed to Chubu Diocesan Center, therefore, phone messages will be replied after May 7.
※ Email · · · Any inquiries through our website is directed to Chubu Diocesan Center. There may be delays in email forwarding. Please call each church directly when replies are needed immediately.

in Christ
Chubu Diocesan Center

〝いる〟ということ

 2月の終わりに、神学校で2年先輩だった他教区のある司祭が逝去されました。都合がつき、通夜の祈りに参列することができました。その司祭とは神学校で1年間だけ一緒で、あとは教区が違いましたので、なかなか顔を合わせる機会はありませんでした。特別親しいという関係ではありませんでしたが、それでも時たま顔を合わせるとごく自然に安否を問うことが出来る、そんな近さを感じさせる方でした。1年間だけの神学校生活でしたが、同じ空間で生活を共にしたという経験がそのような近さを感じさせてくれたのでしょう。

 先日、管理教会に礼拝に行った折、ある高齢の方から、自分は最近耳が悪くなり、説教も聞こえにくいので礼拝に出ていいものかどうか迷っている、どう思うかと尋ねられました。わたしは、耳が聞こえず説教も聞きづらいということは不自由さを感じるだろうが、礼拝に出ているということは、神様やイエス様と一緒にいるということだから、是非出席し続けてくださいとお願いしました(ちなみに、その方は補聴器のことも考えておられます)。

 イエス様は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)と約束され、旧約聖書においても神様は、「わたしは『ある』 (新しい聖書協会共同訳では『いる』)という者だ」(出エジプト3章14節)と言っておられます。父なる神様もイエス様も、そして、もちろん聖霊なる神様も間違いなく「おられ」、しかも、わたしたちと共におられるのです。

 教会は、そしてそこで行われる礼拝は神様がおられる空間であり、そこにわたしたちが〝いる〟ということが、神様やイエス様に出会うことができ、聖霊の力をいただくことができる一番の近道なのです。

クォ・ヴァディス・ドミネ

ポーランドの作家シェンキェヴィチの有名な作品『クォ・ヴァディス』の一場面、ネロによる迫害と官憲による逮捕を逃れて、使徒ペテロとひとりの少年が夜明け前のアッピア街道を南へ急いでいた場面が強烈で、決して忘れることなど有り得ないほどに焼き付いているのです。

朝もやの中から不思議な光の球が近づいて、その中に人の姿が見えてきた。それはまぎれもなくキリスト・イエスであった。老いたペテロは跪き、手を差し伸べ、むせびながら訊ねた。「クォ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、何処へおいでになるのですか)すると、悲しげな、しかし、爽やかな声で「あなたが私の民を見捨てるなら、私はローマへ行ってもう一度十字架にかかろう」という言葉がペテロの耳に響いた。ペテロと一緒に歩いていた少年には何も見えず、何も聞こえなかった。失神したように倒れていたペテロは立ち上がり、震える手で杖をあげ、今逃げてきた都へと向きを変えた。少年はそれを見ながらペテロに訊ねる。「クォ・ヴァディス・ドミネ」ペテロは小さな声で「ローマへ」と答える。ローマに戻ったペテロはパウロと同じく殉教の死を遂げる。自ら、逆さ磔の刑を願って。
(この物語は2世紀末頃に生まれた伝説を元に書かれたと言われている)

私は、この場面を思い起こす度に、胸が熱く打ち震えるような感動を覚え、しばし落ち着くと、何かしら、叱られているようで、また一方で励まされてもいるようにも感じるのです。

「真理とは何か」

今年も間もなく受難週を迎えますが、ユダヤ総督ピラトが官邸でイエスに一連の尋問の後、最後に放った問いであります。しかしピラトは真剣に問うたのではなく、応酬の勢いで口にしたようでもあり、むしろ、甘っちょろい真理などあろうはずがない、という心情なのではないかと想像しています。彼が今の地位に就くまで、いや就いて尚更、生き馬の目を抜くような権謀術数が飛び交い、虚偽欺瞞こそ常識であるような、当たり前の真理とされる世界に生きていたのではないかと思うのです。その後ピラトはこの問いについて当然の如く関心は失せてしまいます。

「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14章16節)

イエスに出会うということは、今までの自分の生き方、価値観を激しく揺さぶられる経験です。自分を自分とならしめていた色々なものが崩されてしまうような危ない経験です。しかしながら、何か新しい可能性が自分にも与えられ、生まれてくるような、自分でも何かイエス様の手伝いが、ご用ができるような思いや願いが自分の内に湧いてくることを感じられるような、そんな驚きもあるのではないでしょうか。

イエス様との出会いは自分にとって苦い経験を伴うものであっても、新しい人間として生きる希望と可能性を与えられる出会いでもあるのだと思うのです。

真理とは何か…

私たちは知っています。

真理とは誰か…

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(一宮聖光教会牧師)