麦畑(「ともしび」1・2月号)

新主教コラムのタイトルを『麦畑』とさせていただきました。私が聖公会神学院在学中、教区のみなさまへほぼ隔月でお送りしていましたお便りのタイトルが『麦畑』でした(法用主教さまからは「毒麦」と茶化されていたのですが)。どうぞよろしくお願いいたします。
 さて、昨年10月24日の主教按手式において、私は日本語、英語、韓国語でご挨拶をさせていただきました。それぞれ内容は異なるのですが、韓国語で何を話していたのか、とのご質問を多数頂戴しましたので、以下にその概要を紹介します。
 「私自身、今から40年ほど前に出会った韓国の聖公会、エキュメニカル青年たちとの関係において、多くのことを学んできました。中部教区も1995年に韓国聖公会ソウル教区と姉妹教区関係を締結し、深い相互交流を支援してきました。19
96年、日本聖公会は総会で『聖公会の戦争責任に関する宣言』を採択しました。その中で、戦時における日本国家の植民地支配と侵略戦争を支持、黙認した責任を認めて、その罪を告白しました。その後、日本聖公会は、韓国聖公会から多くの司祭さまたちをお迎えすることができ、日本全国で宣教活動に大きなご貢献をしてくださっています。この中部教区でも、丁胤植司祭さま、金善姫司祭さまが熱心に牧会にあたられています。これからも、ますます日本聖公会中部教区と韓国聖公会、そしてエキュメニカルで多彩な交流を深めてまいりたいと願っています」
 今、日本聖公会はどこの教区においても、韓国からの司祭さま方の存在なしには宣教・牧会は不可能です。しかし、このことが実現している意味とその歴史を、私たちは常にしっかりと意識しておきたいのです。

取り壊された礼拝堂

2019年の春、岐阜の教会で働き始めて事務所を整理していると、一つの茶封筒の中からジョン・マキム主教による岐阜聖公会の聖堂聖別の証(1908年10月18日付)と岐阜県知事によるB4版1枚の譲渡令書(1945年4月25日付)が出てきました。
 譲渡令書は、1945年5月5日までに、つまり10日以内に、教会の建物4棟を岐阜県に譲渡することを、防空法に基づいて命令する、というものでありました。これは貴重な文書ではないかと思案していたところ、大変偶然なことに、岐阜市主催で行われる平和資料展の企画を担当している市民団体「岐阜空襲を記録する会」から、空襲時の資料を探しているとの電話がありました。
 岐阜空襲は1945年7月9日午後11時過ぎのこと。米軍によって岐阜市中心部に1
万発以上の爆弾が投下され、およそ900人が犠牲になりました。毎年7月のこの時期、岐阜市では空襲に関する資料展を開催しています。そして同年の特別企画として、空襲時の神社、お寺、教会の状況について取り上げることになったとのことでした。
 譲渡令書の話をすると、すぐに教会に現物を見に来られ、早速資料展での複写の展示が決まり、また各方面にこの情報が流されました。令書の法的根拠となっている防空法に詳しい大学研究者からも連絡があり、この文書が全国的にも類を見ない貴重なものであることが分かりました。岐阜新聞の記者も取材に来られ、岐阜新聞の1面トップ及び社会面で大きく取り上げられました。
 この令書は、空襲による市街地での延焼を食い止めるべく防火帯を造ることを目的に、建物を取り壊すために立ち退きを命じるものでした。これにより、当時司牧しておられた小笠原重二司祭(後の教区主教)は岐阜県の美濃太田に疎開し、礼拝は、岐阜市内の信徒宅で行われることになりました。
 実際の岐阜空襲は防火帯で延焼を防ぐレベルではなく、岐阜市中心部の全域が焼け野原になりました。現在の岐阜聖パウロ教会の礼拝堂は、戦前からあった大垣聖ペテロ教会の礼拝堂を戦後になって移築したものです。
 人々の祈りと奉仕によって建てられ、マキム主教によって聖別されたかつての礼拝堂。多くの人々がみ言葉を聞き、教会附属の岐阜明道幼稚園の園児たちが元気に聖歌を歌い、同じく教会の事業であった岐阜聖公会訓盲院の生徒たちが祈った、その礼拝堂には、そこに集う一人ひとりの固有の物語と共に、大切な想いが刻み込まれていたはずです。しかし、1枚の令書はそのようにして建物に刻まれていた想いを、上から塗りつぶすように壊してしまいました。
 主イエスは、羊飼いが自分の羊の名を呼んで連れ出すように、私たち一人ひとりの名前を呼ばれ、それぞれの固有の物語を聞いてくださいます。このような主イエスの働きは、譲渡令書によってなされた上からの一方的な剥奪とはまったく反対の事柄です。
 ともすると私たちの宣教も空の上から人の動きを見るように語ることがあるかもしれません。しかしながら、私たちは、むしろ地に立って一人ひとりの物語を聞いていきたいと思うのです。

                             執事 ヨハネ 相原太郎
                          (岐阜聖パウロ教会 牧師補)

「すべての人々の命の神聖さと尊厳についての宣言」について

 本宣言は、セクシュアルマイノリティを含めたすべての人々の尊厳を大切にしようという宣言で、全世界の宗教指導者が呼びかけ人となって、2020年12月16日に立ち上がりました。私には、親しくしています、デイヴィッド・ハミド主教(ヨーロッパ教区)はじめ複数の英米加教区主教から呼びかけがあり、私も発起人に署名させていただきました。デズモンド・ツツ大主教、マーク・ストレンジ・スコットランド聖公会大主教、ジョン・デーヴィス・ウエールズ聖公会大主教、リンダ・ニコルス・カナダ聖公会大主教などはじめ、アングリカン・コミュニオンの多数の各大主教がこの宣言にサインされています。中部教区には後藤香織司祭さまなどが私たちにとって大切な同労者としておられ、また、主教座聖堂において、毎月第3主日に、「性的少数者とともに捧げる聖餐式」を行っていることもあり、中部教区としても積極的にこの働きに参与できればと願っております。

               日本聖公会中部教区 主教 アシジのフランシス 西原廉太

※英語の宣言の下に日本語訳を掲載しております。(1月22日URL追加、誤記等修正)

※本宣言のホームページは以下にあります。https://globalinterfaith.lgbt/

中部教区のみなさまへ

 去る10月24日の主教按手式・就任式に際しましては、みなさまのお祈り、ご協力を賜り、誠にありがとうございました。新型コロナウイルス感染症蔓延のため2度も延期されましたが、管区、教区のみなさまの大変なご準備により、無事に行うことができました。当日は、日本の主要教派の大司教、議長先生方にもご臨席賜り、また、世界各地からも多数、祝福のメッセージをいただきました。私たち中部教区が、日本聖公会のみならず、世界の聖公会(アングリカン・コミュニオン)や、教派を超えたエキュメニカルなつながりの中に生かされていることを、あらためて実感することができました。
 10年の長きに亘り教区をお導きくださった渋澤一郎主教さま、この7カ月、不安の中にある私たちの中部教区を管理くださいました入江修主教さまに、心からの感謝を申し上げます。また、私は、当面の間、立教大学等の働きも継続しますが、土井宏純司祭には主教補佐職をお願いするのをはじめ、中部教区教役者、信徒のみなさまのお支えをいただきながら、精一杯に主教職を担っていきたいと考えています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
 さて、私ごとになりますが、私の末の息子は、岡谷の病院で生まれました。帝王切開でしたが、生まれた際に息をしておらず、重度の仮死状態でした。すぐにICUで治療が行われましたが、お医者さんから見せられたMRIの脳の写真は真っ白で、先生からは、一次的な治療はできず、二次的な治療しかできないことを告げられました。
 そのすぐ後の主日の福音書は、漁をしていたペテロたちが、イエスさまから弟子として招かれる場面でありました。その福音を黙想していた時に、ひとつの気づきが与えられたのです。「人をとる漁師が持つ網とは、どんな網なのだろうか」と。「人をとる漁師が持つ網」は、神さまの愛の糸で紡がれていて、その網からは、誰ひとり決してこぼれ落ちることのない網なんだと。たとえ私の息子が、これからさまざまな重荷を背負うことになったとしても、その愛の網の中で、しっかりと支えられて、決してこぼれ落ちることはないのだと。
 イエスさまは、そんな「網」を持つ漁師になれと、弟子たちに、そして私たちに命じられたのではないか。そして、ご復活なさったイエスさまが、
ペテロたちに漁をしてこいと言われたのは、弟子たちが、しっかりと、その「網」を持つ者となっているかどうか、確かめられたのではないか。事実、網は153匹もの大きな魚でいっぱいでした。しかし、それほど多くとれたのに、網は破れていなかったのです。主イエスは、弟子たちが確かに誰ひとりこぼれ落ちることのない愛の網を持つ者となったことを確かめられて、天へと昇られた。そんな気づきを与えられたのでした。
 私たちが、主に従い生きること、すなわち神を愛し、人を愛する者となる、ということは、このような意味で、「人をとる漁師となること」なのだと思います。「そこから誰一人としてこぼれ落ちることのない網を持つ者となれ」。それが主の教えです。この網を精一杯に張ることこそが、主イエス・キリストの弟子たることのしるしに他なりません。
 みなさんもまた、主から召された「人をとる漁師」です。神さまの愛と信頼の糸で紡がれた網を持つ漁師です。そこからは誰一人としてこぼれ落ちることがないように、しっかりと紡がれた網を持つ者です。みなさんお一人おひとりが持つ網と網が結ばれて、そしてついには「中部教区」という一つの豊かな神さまの愛の交わり、〈ネットワーク〉となることができますように、ご一緒に祈り、働いてまいりましょう。