全世界の主教がカンタベリーに集まります―第15回ランベス会議―

 いよいよ7月26日(火)から8月8日(月)にかけて、第15回「ランベス会議」が英国・カンタベリーで開催されます。ランベス会議出席のために、教区のみなさまには温かいご献金をお献げいただきましたことに、心より感謝申し上げます。本来は2018年に開かれるべきでしたが、アングリカン・コミュニオン(世界の聖公会)内にある難題等で2年延期され、新型コロナウイルス感染症パンデミックのためにさらに2年延び、実に14年ぶりのランベス会議となります。8月23日(火)の”Bishop’s Room”や9月18日(日)・19日(月)の教区研修会などでもご報告させていただきます。
 第1回ランベス会議は1867年9月24日から4日間、ロンドンのカンタベリー大主教公邸であった「ランベス・パレス」で開催されました。カナダ聖公会から、当時のカンタベリー大主教チャールズ・ロングリーに対して、世界に広がった聖公会が各地で直面する諸課題について協議するため、全世界の聖公会主教会議を招集するように要請されたことがきっかけでした。ロングリー大主教は、当時144名であった全主教に招待状を送りましたが、参加したのは約半数の76名のみでした。聖公会の重要案件は英国教会で法的に決定すべきであって、海外にいる伝道主教たちと協議する必要はないと反発したヨーク大主教はじめ多くの英国の主教たちが参加を拒否したのでした。以来、ランベス会議には法的拘束力はなく、道義的な指針を共有するものであるという性格自体は現在でも変わっていません。
 その後、原則的に10年に一度、開かれることになったランベス会議は、回を重ねる毎に重みを増し、今ではアングリカン・コミュニオンにおける最重要の器の一つとなっています。前回、2008年のランベス会議には全世界の900名近い主教に招待状が送られました。私は、通訳等の補助者として、1998年、2008年のランベス会議に参加させていただきましたので、今回で3回目となります。世界聖公会の委員会等で旧知の主教さま方と再会できるのを楽しみにしています。この夏のランベス会議が無事に行われ、豊かな果実が与えられますように、どうぞお祈りください。

教区間協働!?再編!?(8)“再編、合併のメリットは?”(二)

 2020年に開催された日本聖公会第65定期総会において、日本聖公会の宣教体制強化と教区再編をはかるため、日本聖公会を3区域に分け、複数の教区で構成される「宣教協働区」が設置されたことは既に述べたとおりです。
 中部教区は、横浜、京都、大阪各教区とともに「中日本宣教協働区」に属し、これまで7回にわたる協働委員会が開かれました。同委員会の役割は、区内の運営、宣教・牧会などについて協働を推進し、また教区再編について検討することです(法規第128条の2)。年内には4教区合同のチャプレン研修会が計画されていますが、そのような教区の枠を超えた様々な会合や交流会、リトリートなどがより積極的に実施されることを願っています。中部教区ではこれまでも、高田降臨教会と直江津聖上智教会が京都教区の北陸伝道区の諸教会と、豊橋昇天教会は静岡にある横浜教区の教会との交流、懇親を定期的に深めてきました。今後はもう一歩進んで、教区同士の協働へと発展できればと思います。その中で教区の再編、合併のメリットも自ずと見えてくるのではないでしょうか。
 組織的観点から言えば、再編や合併により教区区域が大幅に拡がることによって、長年の懸案であった硬直化した教役者の人事配置の課題から解放され、適材適所度が格段に高まることは間違いありません。もちろん移行期の混乱や煩わしさは生じるでしょうが、その試練の先には財政面も含めてスリム化や効率化の実現が期待されます。しかし、それにも増して私が大切にしたいことは、それぞれの歴史や伝統、慣習等を尊重しながらも、一度原点に立ち返って、新たな教区の宣教の可能性について率直に話し合い、これからの教区を自分たちの意志で創り上げつつ次世代へバトンを繋いでいくことです。そのような機運が高まることを願って止みません。

【公開シンポジウム「現代に生きる芸術、文化、宗教—国際芸術祭「あいち2022」から—」】

立教大学・文学部キリスト教学科主催の公開シンポジウムのお知らせです。
参加費無料、定員1000人(先着順)となっておりますので、ご興味のある方は是非ご参加ください。

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主催:立教大学・文学部キリスト教学科
日時:2022年7月5日(火)18:30~20:45
開催方法:オンライン開催
対象者:本学学生・教職員・校友・一般
申し込み:事前申し込み必要
*以下のwebサイトよりお申し込みください
ウェビナー登録 – Zoom

参加費:無料
定員:1000名(定員になり次第、受付終了)

現在の世界はパンデミックからの回復を目指す一方で、世界情勢の悪化に直面し、人々の日常生活、社会のあり方に対して、新たな提言が求められている。こうした状況のなか、現代美術は多元主義的となり、その活動の場は美術館やギャラリー等の閉じられた空間を越えて、長期的かつ実効的にコミュニティに関わる芸術実践として、社会へ関与する試みが多方面で試行錯誤されている。
本シンポジウムでは、2022年7月30日~10月10日まで開催される国際芸術祭「あいち2022」をテーマとして現代美術の源流、多様な価値観について考え、地域の歴史、伝統文化、宗教的コミュニティなど過去から継承されたものを通じて、これからの未来をどう生きるかについて論ずる機会とする。

【登壇者】

森美術館館長
片岡真実(かたおか・まみ)さん
「STILL ALIVE  今、を生き抜くアートのちから」
ニッセイ基礎研究所都市開発部研究員、東京オペラシティアートギャラリー・チーフキュレーターを経て、2003年より森美術館。2020年より現職。2007~2009年はヘイワード・ギャラリー(ロンドン)にて、インターナショナル・キュレーターを兼務。第9回光州ビエンナーレ(2012年)共同芸術監督、第21回シドニー・ビエンナーレ(2018年)芸術監督、2022年7月30日開幕の国際芸術祭「あいち2022」芸術監督。2014年からCIMAM(国際美術館会議)理事、2020年より会長を務める。

愛知県美術館館長
拝戸雅彦(はいと・まさひこ)さん
「間借りする」
1991年名古屋大学文学研究科博士後期課程美学美術史専攻中退。1992年10月~2008年3月まで愛知県美術館学芸員として勤務し、2021年4月から同館館長。同館開催展「イタリア美術:1945−1995」(1997)、「戸谷成雄ー森の襞の行方」(2001)、「アジアの潜在力」(2005)、など多数企画。ルイジペッチ現代美術館(プラート市、イタリア)開催の日本現代美術展「先立未来(2001)、ソウル市立美術館開催「city_net_asia」(2006)のキュレーションにも関わる。愛知県がトリエンナーレの事業を立ち上げた2008年から9年間、当芸術祭推進室主任を務め、あいちトリエンナーレ2010、2013、2016チーフキュレーターとして従事。

現代美術作家
奈良美智(なら・よしとも)さん
「普遍的なるもの」
1987年愛知県立芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。1993年デュッセルドルフ国立芸術アカデミー修了(Meisterschüler)。2000年までドイツを拠点に活動後、帰国。1995年名古屋市芸術奨励賞受賞、2010年ニューヨーク国際センター賞
受賞、2013年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。主な個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET
ME.」(2001~2002、横浜美術館他、巡回)、「Nothing Ever
Happens」(2003~2005、クリーブランド現代美術館他、巡回)「君や 僕に ちょっと似て
いる」(2011~2012、横浜美術館、青森県立美術館他、巡回)「for better or
worse」(2017、豊田市美術館)、「Yoshitomo
Nara」(2021~2022、ロサンゼルス・カウンティ美術館)他、多数。ニューヨーク近代美術館、ロザンゼルス現代美術館をはじめ国内外の美術館にコレクション多数。

立教大学総長・日本聖公会中部教区主教
西原廉太(にしはら・れんた)さん
「キリスト教神学の視座からの応答」

立教大学文学部キリスト教学科教授
加藤磨珠枝(かとう・ますえ)さん
「シンポジウム趣旨説明」

〝一人の生徒のための卒業式〟

 私の娘が通ったあるキリスト教学校の高校卒業式のことです。娘の同級生に車いすで通学していたM君がいました。娘とは吹奏楽部の仲間でもあった彼は、高2の秋に、新たに白血病に冒されてしまったことが判明したのです。それ以来、M君は放射線治療や抗がん剤治療のため、学校にはほとんど来ることができなくなってしまいました。
 そして卒業式の日を迎えました。クラスや吹部のみんなも、M君と一緒の卒業式を望んでいたのですが、体育館で彼の姿を見ることはできませんでした。ところが卒業式が終わった直後、娘の教室に、同級生や吹部の仲間たちが急遽集められたのです。そこにはストレッチャーの上に乗ったM君が、ご両親、お姉さんと一緒にいました。校長先生や他の先生たちも集まって、「M君のための卒業式」が行なわれたのです。そこにいた、同級生たちも、先生たちも、お父さん、お母さんも皆、号泣しました。
 M君は、それから4ヶ月経った7月に天に召されました。翌年、私の一番下の息子が、姉と同じ中学に入学しました。息子がもらってきた、ある先生の自己紹介には、こんなことが書かれていました。
 「昨年の高校卒業式、特に3Bの教室での一人の生徒のための卒業式は、一生忘れられない思い出であり、教員になって本当に良かったと思っています」
 この学校が、「一人の生徒のために」という願いで満たされた学び舎であることに、感動を覚えました。一人ひとりの生徒や学生に、「あなたの存在こそが大切である」こと、そして、「あなたの存在が大切にされているように、あなたの隣人を大切にしなさい」という福音が伝えられれば、それで十分にミッション・スクールとしての使命は果たされているのだと思います。そしてまた、ここにこそ、私たち教会の〈宣教・牧会〉の本質があるのです。

教区間協働!?再編!?(7)“再編、合併のメリットは?”(一)

 前回お伝えしたとおり、大阪教区と京都教区の2024年の合併は見送られることになりましたが、日本聖公会全体として教区再編の動きが停滞したわけではありません。4月23日に日本聖公会で初めて女性の主教に按手された笹森田鶴北海道教区主教は、就任挨拶の中で、教区再編と宣教協働について言及し、今後も重要課題として取り組んでいくことを明言されました。その温かくも力強い言葉を聴き、心揺さぶられ、大いに励まされました。
 ところで、教区の再編や合併について討議するとき、必ずと言ってよいほど「メリットは何か?」という質問が発せられます。私見の域は出ませんが、教区再編、合併の最大のメリットは、「弱点も含めてそれぞれの違い、多様性を受容し合うことにより、宣教の豊かさ、活性化に繋がる」ということです。このインクルーシブな共同体理解は、聖公会信仰の真髄とも言えるのではないでしょうか。勿論大きな変化は、一時的に混乱や痛み、不安定さをもたらすことが予想されますが、愛に基づく互いの祈りと信頼によってそれらを克服したときに与えられる恵みや喜びは、計り知れないものがあると思います。そこから、閉塞状態に陥って右往左往している私たちに、進むべき新たな道が拓かれるのでは…という期待もあります。
 また、物理的にも多くの人との出会いや交流機会の増加により、新たな刺激や気付きが与えられることもメリットと言えます。各教区で行われている様々な活動に、教区の枠を超えて参加できる仕組み作りが必要です。特に中部教区は、青少年を対象とした活動が長く低調であると感じます。私自身もおぼろげながら聖職志願を意識する契機となった出来事は、中学生時代に参加した横浜教区の清里聖アンデレ教会で開催された冬季キャンプでした。 ―続く―

きっと実はむすびますよ

 「園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカによる福音書第13章8~9節)

 因果応報の考え方は、今の日本でもそうですけれども、当時のユダヤ教においてもよく親しまれていた考え方です。これに対して、イエス様は決して因果応報ではないと、実のならないいちじくの木のたとえをされたと思います。ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、3年の間、その実がなりはしないかと期待してこの木のところに通い詰めます。ところがついにこのいちじくの木は実をつけませんでした。怒ったこの主人は、このぶどう園を管理していた園丁に向かって言います、「こんな実を結ばないいちじくの木を植えたままにしておくのは土地の無駄だ。さっさと切り倒してしまえ」と。けれどもその時、このぶどう園の管理をゆだねられている園丁は、このいちじくの木をかばうようにして言うのです。実りを生まない私たちいちじくの木、しかしその私たちをかばい、「もう1年待ってください」とおっしゃってくださいます。
 どうでしょうか。わたしは、本当に、イエスのたとえ話は、いつも優しくて、愛の香りを漂わせる、本当に素晴らしい話であるなと思います。このいちじくの木、園丁によって命を救われたわけです。もう切り倒されてもしょうがない、どう考えても救いようがないというような木を、この園丁は命乞いをして守って、ちゃんと周りを掘って肥やしをやろうとします。1本たりとも切らせまいとする園丁の熱い思いがあふれています。もし、
それでもダメならと、この園丁は一応言いますけれども、ダメなはずがないのです。この園丁はイエスでしょうから、イエスがちゃんとしてくださるのだから、ダメになるはずがないのです。翌年、必ずや、たわわにいちじくが実って、あぁ、切らないで良かった、ということになるのでしょう。このように、因果応報の考え方に基づく 〈実を結ばない木は切り倒してしまえ〉という思いの先に、キリスト教の 〈もう、どうがんばっても実なんか結べませんと思っていたのに、神さまがちゃんと世話をして実を結ばせてくれる〉 という喜びの世界が待っているということに信頼してほしいのです。ここが、キリスト教の一番素敵なところです。そしてイエスを知るわたしたちは因果応報の考え方にとどまっていてはいけないということも示しています。自分ではもうダメだと思い、周りも切り倒せと言っていても、それでもなお、園丁が現れて、「いいや、あと1年待ってくれ。私が穴を掘って、ちゃんと肥やしをやるから。そうすれば必ず素晴らしい実を結ぶから」と言ってくださるし、成果をちゃんと出してくださるということです。こういう例えに励まされて、私たちは、どうにも実を結びそうにない自分に絶望することなく、必ず来る実りの日を待ち続けたいと思います。


司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(名古屋聖マルコ教会牧師)

ヒューマン・ライブラリへの招待

中部教区各教会の皆さま

教育部からのお知らせです。
6月18日(土)14:00~、「ヒューマン・ライブラリーへの招待」がZoomによるオンライン開催で企画されています。参加ご希望の方は、下記連絡先へお申し込みをお願いいたします。

中日本宣教協働区:各教区代祷表(2022年度)

中日本宣教協働区では2022年4月より各教区諸教会を覚えて互いに祈り合うことになりました。
各教区(横浜・京都・大阪・中部)の代祷表を掲載し、お知らせいたします。
主日礼拝の中でお覚えくださいますようよろしくお願いいたします。
中日本宣教協働区の働きの上に、愛と平和の主の豊かな祝福がありますように。

イースター礼拝(岐阜聖パウロ教会)

2022年4月16日(土)午後4時 聖土曜日の礼拝
 *司式 司祭 ヨハネ 相原太郎

2022年4月17日(日)午前10時30分 復活日聖餐式(ミサ)
 *司式・説教 司祭 ヨハネ 相原太郎

礼拝はどなたでも自由に参加できます。事前連絡も不要です。