いつくしみと愛のあるところ 神ともに

 『赤毛のアン』、原題〝Anne of Green Gables(グリーンゲイブルズのアン)〟は、カナダの作家ルーシー・モード・モンゴメリによって書かれました。孤児院から畑仕事を手伝う男の子を引き取ろうと考えたマシューとマリラ兄妹のところに、手違いで少女アンがやってきます。アンは兄妹の家(グリーンゲイブルズ…緑色の切妻屋根)に迎えられ、彼らの娘として成長していきます。
 日本では村岡花子氏が『赤毛のアン』として紹介し、私も子どもの頃このアンシリーズに親しみましたが、モンゴメリが1908年に同作品を発表し、たちまちベストセラーとなった当時、文学は子ども向け、大人向けというように分かれていなかったのだそうです。私は後に省略のない翻訳を読んで、この長編小説が、多くの詩や文学、そして聖書の聖句を宝石のように引用し、大人の読者に向けて書かれていることを知りました。この物語には、大人になって読んでも色褪せない、さらに心に染みる深い味わいがあるのです。
 物語の終盤に、こんな場面があります。クイーン学院の卒業式を終えて帰省したアンが、夕方ゆっくり乳牛を追うマシューと一緒にグリーンゲイブルズに帰ってきます。アンが「私が男の子だったら、たくさんお手伝いをして、お仕事を減らしてあげられたのに」と言うと、マシューはアンの頭をポンポンたたきながら、「そうさな、男の子が1ダース束になったより、一人のアンの方がわしはいいな。忘れるんじゃないよ。…とっても自慢のわしの娘さ。」そう言って、いつものはにかんだような微笑みをアンに向けるのでした。その翌日、どんなときもアンの味方だったマシューは天に召されていきます。※
 私たちの人生にも、マシューのように「他でもないあなただから、あなたを大切に思う」と、懐に迎え入れてくれた人がいたのではないでしょうか。今、アンとマシューが彼らの家に帰ってきたその夕方を想いながら、幼い私に聖歌39番「たそがれの空」を教えてくださった櫻井房江先生のことを思い出しました。その頃先生は、上田の聖ミカエル保育園で聖歌を教えておられ、園の「おかえりの歌」だったこの歌を降園前に皆で歌うたびに、心に染入るようなしみじみとした思いを感じたことを覚えています。成人してから先生に再会した時、次のようなお話をしてくださいました。聖ミカエル保育園に通っていた頃、ある時卒園生の少年が電話をかけてきたそうです。彼が電話の向こうで、とぎれとぎれに「たそがれの空」を歌ったと。その彼はきっと、この歌に満ちていた平安、いつくしみと愛を思っていたに違いないと思います。それは私があの場所で、この聖歌とともに感じていた同じ息吹だったのではないかと思うのです。先生がいつか「個人的なことは、普遍的なこと」と言われていたことを意味深く思い出します。
 アンが幼い日に求めてやまなかった家族をマシューは与え、その愛は彼女を育み、生かし続けました。私たちもまた、他でもないあなたを大切に思う、と神の家族から主の家に招かれ、そこで出会った主によって今生かされています。主の御復活、おめでとうございます。
イエスは…世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた(ヨハネ13章1節)
※L・M・モンゴメリ(原著)、松本侑子(翻訳)(1993)『赤毛のアン』東京:集英社

司祭 マリア 大和玲子
(長野聖救主教会牧師)

見よ、神の幕屋が人と共にあり

 2月8日から2泊3日、中部教区主教座聖堂を会場として、「中部教区・京都教区合同教役者会」が開催されました。合わせて30名の聖職者たちが一同に会し、豊かな恵み多き時を共に過ごすことができました。
 主教アワーでは、〈聖書における『天幕』理解と「人間性の回復」〉というテーマでお話させていただきました。創世記、出エジプト記から、福音書、ヨハネ黙示録に至るまで、通貫するメッセージは「天幕」性の大切さであった。聖書における「天幕」とは、人が神と出会う場であり、共生の場、不正義への抵抗の場であった。旧約の神から新約のイエス・キリストに至るまで、神殿を立てよと命じられたことは、ただの一度もない。固定された神殿の維持に固執する姿勢から、もう一度原点に立ち返り、「天幕の霊性」の回復、「天幕的な在りよう」について、ぜひともこの機会に考えたい。
 聖職のみなさんは熱心に質疑くださり、さらに深めてくださいました。「神は今日、どこに天幕があることを望んでおられるのか」を問い続けること、天幕とは、箱(建物)のことではなく、人(私たち)のことではないか、という視点も確認されました。
 最後は、主教座聖堂での聖餐式でした。両教区の聖職団が共にささげる祈りには聖霊の力をこの身に感じ、それは感動的ですらありました。天幕を教役者の働きだと理解すると、私たちの両教区には40張近い天幕が与えられていて、それぞれ必要とされる地に派遣され、天幕を張っている、ということになるのです。
 「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となり、目から涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21章3~4節)

中日本宣教協働区:各教区代祷表(2026年度)

中日本宣教協働区では2022年度より各教区諸教会を覚えて互いに祈り合うことを続けています。
今年も各教区(横浜・京都・大阪・中部)の代祷表を掲載し、お知らせいたします。

主日の礼拝の中でお覚えくださいますようよろしくお願いいたします。

中日本宣教協働区の働きの上に愛と平和の主の豊かな祝福がありますように。

※京都・大阪は4月―3月、中部は1月―12月が区切りとなります。横浜は日付ごととなりますので、毎年の更新はありません。変更がありましたらお知らせいたします。

2026年3月礼拝カレンダー

大斎節に入りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
3月の礼拝カレンダーが完成しましたので、是非ご覧ください。

3/4修正…3/8以降のマルコ、愛知ルカを修正しました。
2/27修正…長野:3/8(み言葉→聖餐式)、3/29(み言葉→聖餐式)に修正しました。
     稲荷山:3/8(聖餐式→み言葉)に修正しました。

時を超えてつながる福音の物語

 昨年末、中部教区センターに、米国からあるメールが送られてきました。
 「私は、1919年にラブラドールから来日し、岡谷の聖バルナバ教会創建に貢献したカナダ聖公会の宣教師、ホリス・ハミルトン・コーリーの孫です。コーリーは、7歳の息子パーシヴァルを脊髄髄膜炎で亡くし、養女のグレンフェルも同じ病気による脳損傷で障がいを負いました。これらの病気のため、彼は聖バルナバ教会の創建と献堂式を終えた後、ついに日本を離れました。彼と家族が横浜からハワイ・ヒロ行きの蒸気船に乗る前日のイースターの夜、彼は横浜墓地のパーシヴァルの墓前で夕の祈りをささげました。1941年12月7日、彼はホノルルのエピファニー教会で奉仕していましたが、日本軍の爆撃の後、日本人が安全に自宅に戻ることができるようになるまで、何日も教会で日本人の市民を保護しました。
 私の母メアリー・エリザベスはパーシヴァルの妹で、1924年10月に大阪で生まれました。母は戦争中にホノルルに駐留していた軍人である私の父と結婚しました。父は義父のホリス・コーリーに感化され、神学校へ進みました。私も父に倣い聖職に就きました。聖バルナバ教会が今も残っていることを知り、大変感謝しております。祖父が創建を手伝った教会をいつか訪れたいと思っています。米国聖公会退職司祭、ジョナサン・B・コフィー」
 Jonathan Jr Coffeyという孫がコーリー司祭におられることは、岡谷聖バルナバ教会の90年史に掲載された拙論、『ホリス・ハミルトン・コーリー司祭の足跡』(2018年)の注記にも書いていました。しかしながら、連絡先などはわからず、コンタクトは一切取れていませんでした。今、こうして、岡谷の地での宣教開始から100年という時間を超えて、奇跡的に福音の物語がつながることに、心が打ち震えるのです。

出会いの恵みを主とともに歩む

 去年の秋、軽井沢高校の社会科の先生から12月に社会科の授業の中で、明治以降のキリスト教について、特に軽井沢や長野県に関係したお話をしてもらえないかという依頼をいただきました。大和孝明司祭と相談し私が行くことになり、軽井沢図書館にも出かけ準備しました。当日、事務室で受付を終えると職員の方が社会科の教務室まで案内してくれました。実は少しドキドキしていたので、気持ちをはぐらかすように「生徒さんは全部で何人ぐらいなんですか」と話しながら、授業中の寒い廊下を歩いて行きました。3階の教務室へ行くと担当の先生が迎えてくださり、その日はお休みだった先生の席で授業時間まで待ちました。待っている机の横には何かの授業で使うのか、新聞の切り抜きが沢山積んであって学校の職員室らしい雰囲気に目がキョロキョロします。時間になって話をするクラスに向かう途中、すれ違う生徒さんたちが挨拶してくれます。休み時間中、冗談言い合っている生徒の声や次のクラスに走っていく足音が響いている校舎の雰囲気は、高校生時代を思い出させる空気を感じました。10人ほどのクラスでしたが、聖公会の特徴や宣教師の働きと医療、教育、社会福祉における様々な働き、また信徒の人々の出会いをお話ししました。その働きや出会いは、アメリカンフットボールなどスポーツの発展や日本の山岳紹介など観光やレジャーへ今の私たちにつながってきたこと。とくに長野県ではショー司祭やウォーラー司祭、コーリー司祭、また多くの宣教師の働きによって出会った人々が看護師に、あるいは伝道師として歩いた佐藤国三郎師(後に万平ホテルを創業)のように聖職者の道を歩む神様の働きに加えられ、「身体と心、そして魂に苦しみや悩みを持つ人々と共に裸足のような姿勢で歩んで」きた話を聞いてもらいました。生徒さんに書いてもらった感想には、人と対等な立場で接していく宣教師たちの人々への関わりを大切にする姿に共感したと言う言葉がありました。生徒の皆さんがこれから関わっていく多くの人との繋がりは、新しい考えや文化、街並みを造っていく力になるものと思います。聖霊はザカリアを満たし、神の憐れみの心によって「曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に指している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く」と語らせました。昨年、中部教区は宣教150年を迎え、私たちは踏み出していく新しい一年に思いを向けています。今回のために図書館に行った時、ジョン万次郎の小説も借りてきました。万次郎たちを無人島から助け出したホイットフィールド船長は、万次郎に「地図」というものを見せます。見慣れない文字がたくさん並んでいるものを見つめて、万次郎は「地図は…招待状のようです」と言います。「読めないけれど、〝みにこい〟と書いてあるんだと思います。」と答える場面がありました。彼自身の好奇心や勤勉さ、才能は多くの人達と出会う恵みとなります。私たちも主イエスの御言葉による「地図」を私たちの心に与えられています。この「地図」を心の中に広げ、人々に出会っていく道を共に歩いていきたいと思います。151年、新しい一年が主と共にありますように。

司祭 マタイ 箭野直路
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森チャプレン・軽井沢ショー記念礼拝堂協働)

礼拝カレンダー2026年2月

今シーズン最強寒波が到来し、中部教区でも信越地域から豪雪の便りが届きました。
2月の礼拝カレンダーが完成いたしましたので、お知らせいたします。
2月は暦の上では春ですが、まだまだ油断せずに寒さに気を付けて過ごしましょう。

※2/12修正…2/22大垣の礼拝は14:00からです。