日本聖公会の歴史と現在
多くの西ヨーロッパの教会がそうであったように、イギリスの教会もその後約1,000 年にわたりローマ・カトリック教会の一部でした。しかし、16 世紀、英国においても独自の宗教改革が行われ、ローマ教皇から独立して英国国教会が成立しました。その後、国教会の枠組みを超え、聖公会(The Anglican Communion) として、現在では約160カ国に広がり、およそ8,000万人の信徒を有しています。聖公会は、ローマから独立して聖書を信仰の柱とするプロテスタントとしての性格を持つ一方、聖餐式(ミサ)を中心とする典礼や歴史的主教制などカトリックとしての伝統も重んじ、聖書、伝統、そして神から与えられた理性によって、真理を求めて歩み続ける姿勢にその特徴があります。そうした性格から、カトリックとプロテスタントをつなぐ「橋渡しの教会」とも言われています。
また、英国国教会が全住民のための教会として、その地域への責任を担ってきたことから、世界の聖公会でも、教育や福祉などの社会的な働きに積極的に取り組む伝統が息づいています。
日本の聖公会は、1846(弘化3)年、バーナード・ジャン・ベッテルハイムが沖縄に上陸して宣教と医療活動を行い、また聖書を琉球語に翻訳して配布したのがその始まりです。
そして、1859(安政6)年、米国聖公会のチャニング・ムーア・ウイリアムズ主教とジョン・リギンズ司祭が長崎で組織的に宣教を開始し、それ以降、米国・英国やカナダの伝道団体が宣教を進め、1887(明治20)年に日本聖公会(日本聖公会ウェブサイト The Nippon Sei Ko Kai) が組織として成立しました。
現在では、全国に11教区、300を超える教会を有しています。
教育・医療・福祉などの社会事業にも積極的に取り組み、教育機関としては立教大学(東京)、香蘭女学校(東京)、柳城学院(名古屋)、平安女学院(京都)、桃山学院(大阪)、プール学院(大阪)、松蔭女子学院(神戸)などの学校や幼稚園を多数創設、聖路加国際病院(東京)、結核療養所として生まれた新生病院(長野県小布施町)、ハンセン病患者の救済施設として生まれた栗生楽泉園(群馬)などの医療施設、福祉分野では、日本で最初の知的障がい児施設である滝乃川学園(東京)、米兵と日本人女性との間に生まれた子どもの孤児院として沢田美喜(岩崎弥太郎の孫娘)が立ち上げたエリザベス・サンダースホーム(大磯)など、数多くの施設を通して活動しています。