『行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす』

幼稚園の子どものお迎えで、毎朝バスに乗っていると、途中で一面に水田が広がる真ん中の一本道を走ります。水田のはるか向こうにはこんもりと木が生い茂り、その向こうには山々が重なって見えます。5月中旬に田植えがされた水田には青々とした稲が風に揺れています。
幼稚園では4月に入園した子どもたちも、いつの間にか園になじんで友達を作り、体も成長しています。子どもたちの暗唱聖句「成長させてくださったのは神です」(Ⅰコリ3・6)という言葉が実感される日々を過ごしています。
しかし、この景色の少し向こう、車で行けば1時間もかからない所に柏崎があります。幼稚園から海までは車で5分です。海の向こうには佐渡があります。ちょっと想像力を働かせると、そこには原子力発電所があり、蓮池さんと曽我さんがいます。新潟には横田さんがいます。決して穏やかな平和な光景に落ち着いてはいられないのです。こちらの新聞「新潟日報」を読んでいると、様々な問題が決して他人事ではないことを感じさせてくれます。
そして、ここ直江津に来てから知ったことで何より驚いたのは、新潟県は93年・94年と続いて自殺率日本一だったということです。最近は少し減って5位ぐらいです。しかし代わって1位になったのは秋田県です。50代と80代に多く、都市部よりも山間部が多いそうです。自然に恵まれた美しい光景は、その背景に様々な問題を隠しているのです。
政治や経済、あるいは様々な社会問題を抱える今日のような社会では、多くの人が何とかして自分が精神的安らぎを感じていたいという思いから、周囲に起こる問題と無関係でいようとして、関係性をどんどん切り捨ててしまいがちです。しかし、主は言われています。「隣人を自分のように愛しなさい」(マタ22・39)私たちに求められていることは内向きに心の平安を求めることではなく、想像力を外向きに働かせて困難に直面している人たちを思いやり、共に悩み、共に苦しむことです。
もちろん私たち一人一人は決して強い人間ではありません。多くの人はそれぞれに悩みを抱えています。家族の問題、仕事の悩み等様々です。人はわずかなことでも多く悩むものです。しかし、そこで立ち止まっていても何も解決しません。問題を抱えつつ共に歩き続けて行くことが、人を成長させ問題の解決に向かわせてくれます。イエス様は弟子たちと歩まれ、弟子たちを派遣されました。そして、その歩みは今も続いているのです。そこに連なる私たちも歩き続けて行きましょう。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(ルカ10・27)という言葉は私たちを力づけ、自分にはまだまだ出来ることがあるという気持ちを抱かせてくれます。
体は一つ、私たち一人一人が出来ることは小さなことです。しかし、共に重荷を負い合い、共に歩むことは出来ます。主はそれを求めておられます。
私たちがすべてを尽くして日々歩いて行くとき、主は共にいてくださいます。
水田を渡ってくるさわやかな風に心を和ませながら、そんなことを考え、バスに揺られています。
執事 ペテロ 田中 誠
(直江津聖上智教会牧師補)