『平和の器として』

『ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者ではなかったので、何の行動も起こさなかった。その次、ナチスは社会主義者を弾圧した。私は更に不安を感じたが、自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、そのたびに私の不安は増大した。が、それでも私は行動に出なかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして、私は牧師だったので、行動に立ち上がった。しかし、その時はすべてがあまりに遅すぎた。』 (マルチン・ニーメラー)
1999年、「日の丸」、「君が代」をそれぞれ「国旗」、「国歌」とする「国旗・国歌法」が成立しました。以来、殊に教育現場における「日の丸」、「君が代」の押しつけが、急速に強まりました。最近、聞いた話ですが、東京都では、各学校の公式行事の際に、教育委員会が「日の丸」を掲げる場所を含めた会場のレイアウトに介入したり、或いは「君が代」を歌う際には、誰が立たなかったか、誰が歌わなかったか等のチェックが公然となされているとのことです。こうした圧力によって、今では全国の公立学校における「日の丸」、「君が代」の実施率はほぼ100%となっています。つまり公立学校の教職員及びそこで学ぶ生徒たちは、知らず知らずに公権力が一方的に決めつけた「愛国心」の強制というある種の思想統制を受けていると言えるのです。更に最近では、私立学校にも「日の丸」、「君が代」を義務づけようという論議が生じているようです。聖公会に連なる諸教育機関は大丈夫かと言いたくなります。
他方、日米安保条約の下、アメリカの軍事戦略を支援協力することによって、日本は 軍事力を強化してきました。1999年には「周辺事態法」が成立し、周辺地域の有事であっても米軍の後方支援という形で軍事行動ができる道を開きました。2001年9月11日の「同時多発テロ事件」の後には、「テロ対策特別措置法」や「改訂PKO協力法」などを成立させ、自衛隊派兵に向けての環境整備を行ってきました。そして、昨年は「武力攻撃事態法」を含むいわゆる有事法制関連三法が成立しました。それによって、有事の際には国民及び病院や銀行などの諸施設の動員が可能となり、国民の人権や自由が著しく制限される恐れが生じてきました。
こうした一連の軍事化の歩みが、結果的に自衛隊のイラク派兵に道を開いていったのです。戦後初めて戦地に自衛隊を送ることによって、日本は新たな戦時体制に突入したと言えます。日の丸の小旗に送られて出兵する自衛隊員の姿を見て、皆さんは、どのように思われたでしょうか。
1996年、日本聖公会第49(定期)総会は「日本聖公会の戦争責任に関する宣言文」を決議しました。この「宣言文」では、聖公会が日本国家による戦争を支持、或いは黙認したことの罪を告白すると共に、平和の器として歩むことを祈り求めています。
私たちは、再び同じ過ちを犯してはならないのです。冒頭のマルチン・ニーメラー牧師の詩をあらためて心に刻みながら、共に平和への願いを深めて参りたいと思います。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ2・4)
司祭 テモテ 野村  潔
(教区教務局長)