『いっしょに歩こう!』

「津波ごっこしようか、それとも、お葬式ごっこしようか?」子どもたちの声を聞いて、傍にいた私たちは、一瞬、言葉を失いました。

2011年3月11日、東日本大震災が宮城県亘理町にあったふじ幼稚園を襲いました。大きな地震の後、先生たちは子どもたちを園庭に避難させましたが、雪も降り始めたので、園児たちを幼稚園バスに分乗させました。その時、大きな津波が襲いました。黒く濁った海水は、あっという間に園バスの中に流れ込み、次々に園児たちをのみ込み始めました。先生たちも背丈を超える水に浸かりながら、園児たちをバスの屋根まで引き上げようとしましたが、残念ながら全員を救出することができず、8名の尊い生命が失われました。また、この時、教師として子どもたちの命を守るため、懸命に働いた磯山聖ヨハネ教会の信徒中曽順子さんは、その夜、力尽き、天国に召されていきました。

9月のはじめ、聖公会の「いっしょに歩こう!プロジェクト」の活動にボランティアとして参加した名古屋柳城短期大学の学生及びスタッフの方々と、8月にようやく再開したふじ幼稚園の仮園舎を訪問しました。一見、明るく元気で、どんな幼稚園でも見られる子どもたちの姿でしたが、言葉や行動の端々に、地震と津波に襲われた時の恐怖、友だちや先生を失った心の痛み、また、その後の避難生活の影響などが、子どもたちの心の中に深く入り込んでいる様子が感じられました。

先生にくっついたまま離れようとしない子。彼は、波に襲われた園バスの水の中から引き上げられた子でした。中には、先生がたまたま水の中に伸ばした手の先に引っかかった子どももいたそうです。真っ黒な水の中でもがきながら、どんなに怖い思いをしたことでしょうか。また、給食の間、ひっきりなしに隣の子にちょっかいを出している子。彼は、今、仮設住宅で家族と共に住んでいますが、隣の家との壁が薄いので、いつも母親に「走るな、騒ぐな」と叱られているそうです。

冒頭の子どもたちの言葉に彼らの複雑な思いが込められているように感じます。たくさんの友だちを一度に失った悲しみを、子どもたちはどのように小さな心に受けとめているのでしょうか。いつになったら、子どもたちの心に伸び伸びとした本当の明るさが戻るのでしょうか。

その苦しみは大人も同じです。園長先生は、その日、たまたま出張中で留守でした。園長先生は、8名の子どもたちの生命を守れなかったことの責任を感じ、自分も天国に行って、その子たちの母親になろうかと思ったそうです。でも、生き残った子どもたちも、様々な心の傷を負っていることを思った時、彼らの心を癒し、明るく育てることが自分の仕事ではないのかと、思い直したと話されました。

大人も子どもも深く傷ついています。被災から半年が過ぎ、徐々に現実に引き戻されるにつれて、より孤独と絶望感を深めている人々も少なくないと聞きます。その意味で、被災者への支援活動はこれからが本番なのかもしれません。

「いっしょに歩こう!プロジェクト」が作成したDVDの最後で、東北教区の加藤博道主教が「忘れ去られていくことが、一番、恐ろしい」と語っています。被災した人々にそのような思いをさせてはならないと、あらためて感じています。神様が、被災した一人一人に時には寄り添い、時には彼らを背負いながら、いっしょに歩いていることを信じて、私たちもその歩みに加わっていきたいと思います。いつの日か人々の目から涙が拭い去られ、心の底から笑いあえる時が来ることを祈りながら。

司祭 テモテ 野村 潔
(名古屋聖マルコ教会牧師)