2021年イースター・メッセージ

2021年4月4日
主教 アシジのフランシス 西原廉太

[以下動画の内容をテキストで掲載]

 主なる神さま、私たちがしばらくの間、主のご復活の意味について思いめぐらすことができますように強め導いてください。父と子と聖霊のみ名によって。アーメン

 復活日、イースターは、古代の教会においてはクリスマスよりも重要な祝日でした。洗礼も、復活日の早朝もしくは前日深夜に行われる伝統がありました。洗礼とはその人が新たに主と出会うことによって、新たに生まれることを意味していましたので、洗礼が行われるのは復活日が最も相応しかったのであります。

 イエスさまが十字架につけられ息を引き取られた。死んでしまった。弟子たちにとってこれほどの衝撃はありませんでした。それは、究極の断絶であり、絶望でありました。弟子たちは、混乱の中、散り散りに逃げてしまいました。しかし、マグダラのマリア、サロメたち女性たちは、絶望の中にあっても、ずっとイエスさまのみもとに居続けたのであります。そして、女性たちは、イエスさまに香料を塗るために、イエスが葬られた墓に向かいます。十字架からおろされた時は、安息日が差し迫って香料を塗ることができないまま、大急ぎで埋葬されてしまったのです。油を塗ることは、女性たちにとってイエスさまのためにできる最後の奉仕、精一杯の業でありました。すると、驚くべきことに、墓の石は転がされ、墓は空であった。そこにはある若者がいて、こう告げます。

 「あの方はあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。」

 マルコによる福音書はここで終わります。マルコによる福音書は、4つある福音書の中でも最も古いものです。マタイによる福音書もルカによる福音書も、マルコをもとにしています。そのようなことから、マルコによる福音書は、「原福音」とも呼ばれています。この最古の福音には、実際に主がよみがえられてイエスとマリアや弟子たちが出会う記述はありません。この2000年の教会の歴史の中でも、「復活」そのものへの疑問がたびたび出されますがその根拠の一つが、原福音であるマルコには復活の記録がないことがあげられてきました。

 ここで、原始キリスト教会の最古の伝承について見てみたいと思います。それは、実はパウロの手紙であります、コリントの信徒への手紙一、15:3-5に隠されています。

最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの「罪」のために「死んだ」こと、「葬られた」こと、また、聖書に書いてあるとおり「三日目」に「復活した」こと、ケファに現れ、それから十二人に「現れた」ことです。

(聖書協会共同訳)

 「最も大切なこととして、パウロ自身も受けた」伝承です。それをパウロがコリントの人びとに伝えている記録です。これは「ケリュグマ」(「教え」という意味)と呼ばれるもので、イエスさまの復活についての教えです。このケリュグマが後に発展して、使徒信経やニケヤ信経になりました。このケリュグマが書かれたのは、紀元55年頃と言われていますので、その時点ですでに伝承されていたものですから、イエスの死後相当早い段階でこのケリュグマは形成され、伝承されていました。ギリシャ語原文を直訳しますと、これがはっきりとした韻文で書かれていることがわかります。

 このケリュグマは、「聖書に書いてあるとおり」で始まる2つの文章で構成されています。そして、「、」でそれぞれの文章は分かれます。それぞれの前半の「罪」と「三日目」が対応し、「死んだこと」と「復活したこと」が対応しています。この前半部は、神学的な表現であり、信仰告白の部分です。それに対して、後半で対応する「葬られたこと」「現われたこと」は、純粋に歴史的な出来事、事実起こったことの記録、伝承だと考えられるのです。すなわち、「葬られたこと」「現われたこと」を神学的に、信仰的に理解した結果が、前半部なのです。

 つまり、イエスさまは確かに「葬られた」。それは本日のマルコによる福音書も証言しているところです。そしてさらには、「現われた」と記録せざるを得ないような出来事が起こったのであろうと思うのであります。「現われた」というのは、歴史的な核を持つ歴史的事実なのだろうと言うことができます。確かにそうでなければ、キリスト教はこのように2000年も続き、また世界中に広まることはなかったのでしょう。間違いなく、イエスさまは、マリアたちに、弟子たちに何らかの形で「現われられた」のです。

 私は、以前、東京教区のある教会の主日礼拝をお手伝いしていたことがありました。その教会でNさんという女性の信徒さんと親しくさせていただいておりました。その後、Nさんはお病気のため86歳で主のもとに召されました。Nさんは熱心で、礼拝を欠かしたことがないような方でした。Nさんのお連れ合い、ご主人は40年前に亡くなられ、Nさんは独り身で、老人ホームで暮らされていました。

 私がその教会に伺いはじめてから2年ばかりが経った頃のことですが、Nさんは次第に認知症が進むようになり、教会にもお越しになれなくなりました。それから3年経った年の秋に、私は、Nさんが入っておられる老人ホームを訪問しました。Nさんは椅子にこしかけておられ、その姿は以前のままでしたが、私が声をかけても、表情はまったく動くことがなく、あの優しい笑顔はありませんでした。職員の方のお話によれば、Nさんはここ1年ほど、ほとんど声も出なくなってしまい、誰が訪ねてきても分からず、反応もなくなっているとのことでした。

 私は、Nさんの手をとって、お祈りをしました。すると、最初はまるで力のなかったNさんの手がぎゅっと私の手を握り返してこられたのです。

 そして、Nさんは、小さな声で、しかしはっきりとこう繰り返されたのです。

 「イエスさま、ケンジをお願いします。イエスさま、ケンジをお願いします。」

 そう繰り返されるのです。その時、Nさんはぼろぼろと涙を流されて、その涙がほほを伝っていきました。その場におられた職員の方々も非常に驚いておられました。

 それはほんの一瞬の出来事でした。私が、帰る時には、Nさんはもういつものように固い表情に戻り、一言も言葉を出されることはありませんでした。

 あの時、Nさんが声に出された「ケンジ」とはどなたなのかは謎のままでした。Nさんのご主人の名前ではありませんでしたし、職員の方も心当たりがないということでした。きっと、混濁されていたのだろうと思ったのです。

 Nさんのお葬式に参列した時に、Nさんを良く知る方から大切な話を伺うことができました。実は、Nさんには、一人息子さんがおられたのだけれども、Nさんが26歳の頃、その息子さんがまだ3歳の時に、原因不明の熱病にかかり天に召されてしまった、のだということ。そして、その息子さんのお名前は、「健二」君であったのでした。

 私は、今、きっとあの一瞬、Nさんは60年前に戻られていたのだと思うのです。60年前に、Nさんが本当に経験されたことをあの時に繰り返されたのだと思うのであります。60年前に、きっとNさんは、本当にイエスさまの手を握り締めながら、健二君のことを祈られていたに違いありません。2000年前のマリアや弟子たちが経験したように、イエスさまは、事実、Nさんの前に「現われられ」たのだと思うのであります。

 私たちも、私たちの前にイエスさまが事実現れられる時があるのでありましょう。その時が、いつなのかは分かりませんし、そしてまた、もうすでに現われておられるのかも知れません。エマオの途上でのクレオパたちのように、後から、それが主であったことに気づくのかも知れません。

 空の墓の前で、若者は、マリアたちにこう告げました。

 「あの方はあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。」 私たちにとって、主と出会う場所である「ガリラヤ」とはどこなのでしょうか。みなさんにとって「ガリラヤ」とはどこなのでしょうか。そんなことを、今日、この復活日に黙想できればと思います。

 一言お祈りします。

 主なる神さま。主イエス・キリストは弟子たちに現われられ、そして私たちにも現われてくださいます。どうか、私たち一人ひとりが、そのご復活の主と出会うガリラヤへと辿り着くことができますように、どうぞ強め、導いてください。

 この祈りを尊き主イエス・キリストのみ名を通してみ前におささげいたします。

 アーメン

麦畑(「ともしび」3・4月号)

 主教としての働きをはじめて、あらためて感謝なのは、教区の一つひとつの教会を訪問できることです。降臨節には、実に30年ぶりに一宮聖光教会を訪れる機会が与えられました。現在、聖堂の新築中ですが、旧聖堂での主教司式の最後の聖餐式を信徒のみなさまと共におささげすることができました。
 礼拝前、聖堂前の植え込みに、少し錆びた恐竜のオブジェが置かれているのを発見しました。信徒さんに伺うと、それは長い間司牧された菊田謙司祭の娘さんで、かつて私が名古屋学生センターの主事をしていた頃からの青年仲間の片岡真実さんが作られた、大学の卒業制作だとのことでした。
 真実さんは今や世界的なキュレーターとなられ、現在、東京・六本木にある森美術館の館長や国際美術館会議会長を務められています。先日も森美術館の特別展を、片岡館長直々のご案内で鑑賞させていただきました。1月5日付け朝日新聞夕刊にも一面を使って真実さんのインタビュー記事が掲載されていましたが、その中で印象深かったのは、「名前『真実』は新約聖書の一節に由来する」と記されていたことです。
 昨年末、2022年に開催される国際芸術祭「あいち2022」(旧「あいちトリエンナーレ」)の芸術監督を、真実さんが担われることが発表されました。その記者会見の中で、未来のみならず過去の多様な人類の歴史にも光を当て、新型コロナウイルスや、人種、ジェンダー、民族的な差異に対する差別や不平等などの課題を、現代の問題としてとらえ対峙していくことの大切さを強調された上で、こう語られたのです。
 「生きることは学び続けること。未知の世界、多様な価値観、圧倒的な美しさと出会うこと」
 私は、これはまさに彼女の「祈り」なのではないかと思います。私たち教会が語るべきメッセージのひとつが、ここにあります。

動画:<オンライン鼎談:コロナ時代に問う「神学+教育2.0」>

キリスト新聞社主催<オンライン鼎談:コロナ時代に問う「神学+教育2.0」>に西原主教も登壇しました。
YouTube動画が公開されていますので、ご視聴ください。

***以下、主催者サイトより***

オンライン化がもたらすキリスト教の“希望”とは?

長引くコロナ禍で、すでに語り尽くされた感のある「新しい教会様式」。礼拝や授業のオンライン化がもたらしたものは何だったのか?
形骸化する「エキュメニカル」運動の課題を克服し、この危機を前向きな原動力に変えていくための知恵とは?
オンライン(バーチャル)かオフライン(リアル)かという二者択一の議論を越えて、これまでの教会、神学の課題と向き合い、単なる「延命措置」「対症療法」に留まらない展望はどこに見出せるのか――。
 新年度を前に、キリスト教主義学校で教育、実践神学に携わる識者が集い、改めてコロナ時代の宗教、学校、教会が生きる道を模索しました。牧師や信徒、非信徒の垣根を越えて、苦難に満ちた現代社会の要請にも応えつつ新たな価値を創り上げるため、ぜひご視聴ください。

00:08:10~ 各校の現状とコロナ禍対応の実際
00:26:50~ 教育現場のオンライン化がもたらした最大の変化は?
00:58:34~ 教会のオンライン化に対する期待度は?
01:36:38~ コロナ時代のキリスト教・神学でカギを握るのは?

【登壇ゲスト】

・小原克博 こはら・かつひろ 1965年、大阪府生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)。現在、
同志社大学神学部教授、神学部長・神学研究科長、良心学研究センター長。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。先端医療、環境問題、性差別などをめぐる倫理的課題や、宗教と政治およびビジネス(経済活動)との関係、一神教に焦点を当てた文明論、
戦争論などに取り組む。神道および仏教をはじめとする日本の諸宗教との対話の経験も長い。

・中道基夫 なかみち・もとお
1960年、兵庫県生まれ。 関西学院大学大学院神学研究科博士課程前期課程修了、修士(神学)。ハイデルベルク大学神学部、博士(神学)。現在、
関西学院大学神学部教授、神学部長・神学研究科。 専門は実践神学。宣教学に関心を持ち、アメリカから伝えられたキリスト教、
特にキリスト教葬儀が日本の宗教や文化と出会いどのように受容され、変容したかというインカルチュレーションの問いに取り組む。その関連から、礼拝学、牧会学へと関心を広げている。
・西原廉太 にしはら・れんた 1962年、京都府生まれ。京都大学工学部卒業。立教大学大学院文学研究科組織神学専攻修了。博士(神学)。4月より立教大学総長。日本聖公会中部教区主教。専門は、アングリカニズム(英国宗教改革神学)。世界教会協議会(WCC)中央委員。
キリスト教学校教育同盟理事長。16世紀以降の英国宗教改革神学
、現代アングリカニズム・エキュメニズム、とりわけ職制論・教会論・宣教論を中心に、それらの現代的意義と課題を研究している。

動画:カナダ聖公会ケベック教区主教との対談

カナダ聖公会ケベック教区のブルース・マイヤーズ主教は私の長年の親友でもあり、昨年の主教按手式にもZoomでご臨席くださいました。この度、マイヤーズ主教は、ケベック教区の大斎節プログラムとして、毎主日、マイヤーズ主教と親しい世界各地の主教とのビデオ・インタビューを収録し、教区の信徒・教役者に配信されています。毎回の構成は、その主教が属する教区や国の歴史、宣教課題や状況について、また、当日の聖書日課・福音書についての黙想の分かち合いとなっています。3月14日の大斎節第4主日は、日本聖公会中部教区主教の私がインタビューに招待され、楽しい時間を持つことができました。マイヤーズ主教のご許可を得て、中部教区のウエブサイトでも共有させていただきます。英語のみで、日本語字幕はつけていませんが、私の話の内容は、日本聖公会、中部教区のみなさんは良くご存知のことばかりです。日本におけるコロナ禍の状況、教会の対応、日本聖公会形成の歴史について、またカナダ聖公会の働き、岡谷聖バルナバ教会創立をめぐる、ホリス・ハミルトン・コーリー司祭(カナダ聖公会・ケベック教区ご出身)の物語、当日の聖書日課(日本聖公会の聖書日課と箇所は異なります)のヨハネによる福音書第3章14節~21節をめぐる黙想(リフレクション)などを語っています。カナダ聖公会ケベック教区とは今後もますます深いつながりを持つことができればと願っています。コロナ禍が落ち着き、海外にも再び自由に行けるようになりましたら、私たち日本聖公会中部教区のルーツでもあるカナダ聖公会、とりわけトロント教区やケベック教区を、信徒のみなさんとご一緒に訪問する「巡礼の旅」などが実現できればと考えています。

日本聖公会中部教区 主教 アシジのフランシス 西原廉太

麦畑(「ともしび」1・2月号)

新主教コラムのタイトルを『麦畑』とさせていただきました。私が聖公会神学院在学中、教区のみなさまへほぼ隔月でお送りしていましたお便りのタイトルが『麦畑』でした(法用主教さまからは「毒麦」と茶化されていたのですが)。どうぞよろしくお願いいたします。
 さて、昨年10月24日の主教按手式において、私は日本語、英語、韓国語でご挨拶をさせていただきました。それぞれ内容は異なるのですが、韓国語で何を話していたのか、とのご質問を多数頂戴しましたので、以下にその概要を紹介します。
 「私自身、今から40年ほど前に出会った韓国の聖公会、エキュメニカル青年たちとの関係において、多くのことを学んできました。中部教区も1995年に韓国聖公会ソウル教区と姉妹教区関係を締結し、深い相互交流を支援してきました。19
96年、日本聖公会は総会で『聖公会の戦争責任に関する宣言』を採択しました。その中で、戦時における日本国家の植民地支配と侵略戦争を支持、黙認した責任を認めて、その罪を告白しました。その後、日本聖公会は、韓国聖公会から多くの司祭さまたちをお迎えすることができ、日本全国で宣教活動に大きなご貢献をしてくださっています。この中部教区でも、丁胤植司祭さま、金善姫司祭さまが熱心に牧会にあたられています。これからも、ますます日本聖公会中部教区と韓国聖公会、そしてエキュメニカルで多彩な交流を深めてまいりたいと願っています」
 今、日本聖公会はどこの教区においても、韓国からの司祭さま方の存在なしには宣教・牧会は不可能です。しかし、このことが実現している意味とその歴史を、私たちは常にしっかりと意識しておきたいのです。

「すべての人々の命の神聖さと尊厳についての宣言」について

 本宣言は、セクシュアルマイノリティを含めたすべての人々の尊厳を大切にしようという宣言で、全世界の宗教指導者が呼びかけ人となって、2020年12月16日に立ち上がりました。私には、親しくしています、デイヴィッド・ハミド主教(ヨーロッパ教区)はじめ複数の英米加教区主教から呼びかけがあり、私も発起人に署名させていただきました。デズモンド・ツツ大主教、マーク・ストレンジ・スコットランド聖公会大主教、ジョン・デーヴィス・ウエールズ聖公会大主教、リンダ・ニコルス・カナダ聖公会大主教などはじめ、アングリカン・コミュニオンの多数の各大主教がこの宣言にサインされています。中部教区には後藤香織司祭さまなどが私たちにとって大切な同労者としておられ、また、主教座聖堂において、毎月第3主日に、「性的少数者とともに捧げる聖餐式」を行っていることもあり、中部教区としても積極的にこの働きに参与できればと願っております。

               日本聖公会中部教区 主教 アシジのフランシス 西原廉太

※英語の宣言の下に日本語訳を掲載しております。(1月22日URL追加、誤記等修正)

※本宣言のホームページは以下にあります。https://globalinterfaith.lgbt/

中部教区のみなさまへ

 去る10月24日の主教按手式・就任式に際しましては、みなさまのお祈り、ご協力を賜り、誠にありがとうございました。新型コロナウイルス感染症蔓延のため2度も延期されましたが、管区、教区のみなさまの大変なご準備により、無事に行うことができました。当日は、日本の主要教派の大司教、議長先生方にもご臨席賜り、また、世界各地からも多数、祝福のメッセージをいただきました。私たち中部教区が、日本聖公会のみならず、世界の聖公会(アングリカン・コミュニオン)や、教派を超えたエキュメニカルなつながりの中に生かされていることを、あらためて実感することができました。
 10年の長きに亘り教区をお導きくださった渋澤一郎主教さま、この7カ月、不安の中にある私たちの中部教区を管理くださいました入江修主教さまに、心からの感謝を申し上げます。また、私は、当面の間、立教大学等の働きも継続しますが、土井宏純司祭には主教補佐職をお願いするのをはじめ、中部教区教役者、信徒のみなさまのお支えをいただきながら、精一杯に主教職を担っていきたいと考えています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
 さて、私ごとになりますが、私の末の息子は、岡谷の病院で生まれました。帝王切開でしたが、生まれた際に息をしておらず、重度の仮死状態でした。すぐにICUで治療が行われましたが、お医者さんから見せられたMRIの脳の写真は真っ白で、先生からは、一次的な治療はできず、二次的な治療しかできないことを告げられました。
 そのすぐ後の主日の福音書は、漁をしていたペテロたちが、イエスさまから弟子として招かれる場面でありました。その福音を黙想していた時に、ひとつの気づきが与えられたのです。「人をとる漁師が持つ網とは、どんな網なのだろうか」と。「人をとる漁師が持つ網」は、神さまの愛の糸で紡がれていて、その網からは、誰ひとり決してこぼれ落ちることのない網なんだと。たとえ私の息子が、これからさまざまな重荷を背負うことになったとしても、その愛の網の中で、しっかりと支えられて、決してこぼれ落ちることはないのだと。
 イエスさまは、そんな「網」を持つ漁師になれと、弟子たちに、そして私たちに命じられたのではないか。そして、ご復活なさったイエスさまが、
ペテロたちに漁をしてこいと言われたのは、弟子たちが、しっかりと、その「網」を持つ者となっているかどうか、確かめられたのではないか。事実、網は153匹もの大きな魚でいっぱいでした。しかし、それほど多くとれたのに、網は破れていなかったのです。主イエスは、弟子たちが確かに誰ひとりこぼれ落ちることのない愛の網を持つ者となったことを確かめられて、天へと昇られた。そんな気づきを与えられたのでした。
 私たちが、主に従い生きること、すなわち神を愛し、人を愛する者となる、ということは、このような意味で、「人をとる漁師となること」なのだと思います。「そこから誰一人としてこぼれ落ちることのない網を持つ者となれ」。それが主の教えです。この網を精一杯に張ることこそが、主イエス・キリストの弟子たることのしるしに他なりません。
 みなさんもまた、主から召された「人をとる漁師」です。神さまの愛と信頼の糸で紡がれた網を持つ漁師です。そこからは誰一人としてこぼれ落ちることがないように、しっかりと紡がれた網を持つ者です。みなさんお一人おひとりが持つ網と網が結ばれて、そしてついには「中部教区」という一つの豊かな神さまの愛の交わり、〈ネットワーク〉となることができますように、ご一緒に祈り、働いてまいりましょう。

プレジデント・オンラインに西原廉太司祭(主教被選者)の記事が掲載されました。

NHKの連続テレビ小説『エール』でキリスト教考証を務める西原廉太司祭(主教被選者)の記事がプレジデント・オンラインに掲載されました。中部教区の豊橋昇天教会のことにも触れられています。是非、ご覧ください。

https://president.jp/articles/-/39732