教区間協働!?再編!?(9) “チャプレン研修会を開催”

 2022年11月28日(月)午後7時から、中日本宣教協働区(横浜・中部・京都・大阪の4教区)にある諸施設のチャプレン及び協働委員総勢41名がオンラインで繋がり、研修会が開催されました。2020年の日本聖公会総会決議により「宣教協働区」が設置されて以来、中日本宣教協働区協働委員会では教区の枠を超えた課題を共有し、協働の可能性を追求してきました。その中で4教区共通の課題として当初から繰り返し話題に上ってきたことの一つが、チャプレンの働き(チャプレンシー)についてです。
 中日本宣教協働区内には、大学、短大、高等学校、中学校、幼稚園、保育園、認定こども園、病院、福祉施設、ホテルなどの関連機関があり、各教区はそれぞれにチャプレンを派遣しています。しかしながら、殆どの教役者は神学校でチャプレンの働きについて学ぶこともなく、遣わされた現場で孤軍奮闘しながらその重要な役割を担っているという実情があります。そのような認識に立ち、まずチャプレン同士の分かち合い(ピアサポート)の場を作りたいとの願いから今回の研修会が実施されることになりました。
 限られた時間の中でしたが、まず協働委員の1人から経営の視点(理事長)からチャプレンに望むことについて話があり、続いて各カテゴリー(幼保、中高、大学、病院、福祉施設)から5人のチャプレンの体験談を聴くことができました。各々がとても率直で切実な思いを語られたこともあり、大変興味深く共感を覚えました。何より各現場へチャプレンとして派遣された教役者が、信徒ではない学生や利用者、教職員やスタッフたちといかに関係性を構築していくか…という難題に日々心を砕いていることが強く印象に残りました。次回は対面で開催できることを願っています。
 尚、本研修会報告書の入手をご希望の方は当方までお声がけください。

Jsキャンプ(中高生キャンプ)@沖縄のご案内

教区運営会議では、教区の青少年活動の活性化のため、また、中日本宣教協働区での協働を深めるため、添付にあります「Jsキャンプ@沖縄」(京都教区宣教局教育部主催、中部教区協力)への中高生への参加を、中部教区の教会に呼びかけることにいたしました。

詳細は案内をご覧いただければと思いますが、「Jsキャンプ@沖縄」は過去に何度も行われており、今回は、中部教区もその準備に協力し、当日も現地にスタッフを派遣する予定です。

申し込みは、来年1月18日(水)までに、金沢聖ヨハネ教会まで直接お願いいたします。

教区間協働!?再編!?(8)“再編、合併のメリットは?”(二)

 2020年に開催された日本聖公会第65定期総会において、日本聖公会の宣教体制強化と教区再編をはかるため、日本聖公会を3区域に分け、複数の教区で構成される「宣教協働区」が設置されたことは既に述べたとおりです。
 中部教区は、横浜、京都、大阪各教区とともに「中日本宣教協働区」に属し、これまで7回にわたる協働委員会が開かれました。同委員会の役割は、区内の運営、宣教・牧会などについて協働を推進し、また教区再編について検討することです(法規第128条の2)。年内には4教区合同のチャプレン研修会が計画されていますが、そのような教区の枠を超えた様々な会合や交流会、リトリートなどがより積極的に実施されることを願っています。中部教区ではこれまでも、高田降臨教会と直江津聖上智教会が京都教区の北陸伝道区の諸教会と、豊橋昇天教会は静岡にある横浜教区の教会との交流、懇親を定期的に深めてきました。今後はもう一歩進んで、教区同士の協働へと発展できればと思います。その中で教区の再編、合併のメリットも自ずと見えてくるのではないでしょうか。
 組織的観点から言えば、再編や合併により教区区域が大幅に拡がることによって、長年の懸案であった硬直化した教役者の人事配置の課題から解放され、適材適所度が格段に高まることは間違いありません。もちろん移行期の混乱や煩わしさは生じるでしょうが、その試練の先には財政面も含めてスリム化や効率化の実現が期待されます。しかし、それにも増して私が大切にしたいことは、それぞれの歴史や伝統、慣習等を尊重しながらも、一度原点に立ち返って、新たな教区の宣教の可能性について率直に話し合い、これからの教区を自分たちの意志で創り上げつつ次世代へバトンを繋いでいくことです。そのような機運が高まることを願って止みません。

教区間協働!?再編!?(7)“再編、合併のメリットは?”(一)

 前回お伝えしたとおり、大阪教区と京都教区の2024年の合併は見送られることになりましたが、日本聖公会全体として教区再編の動きが停滞したわけではありません。4月23日に日本聖公会で初めて女性の主教に按手された笹森田鶴北海道教区主教は、就任挨拶の中で、教区再編と宣教協働について言及し、今後も重要課題として取り組んでいくことを明言されました。その温かくも力強い言葉を聴き、心揺さぶられ、大いに励まされました。
 ところで、教区の再編や合併について討議するとき、必ずと言ってよいほど「メリットは何か?」という質問が発せられます。私見の域は出ませんが、教区再編、合併の最大のメリットは、「弱点も含めてそれぞれの違い、多様性を受容し合うことにより、宣教の豊かさ、活性化に繋がる」ということです。このインクルーシブな共同体理解は、聖公会信仰の真髄とも言えるのではないでしょうか。勿論大きな変化は、一時的に混乱や痛み、不安定さをもたらすことが予想されますが、愛に基づく互いの祈りと信頼によってそれらを克服したときに与えられる恵みや喜びは、計り知れないものがあると思います。そこから、閉塞状態に陥って右往左往している私たちに、進むべき新たな道が拓かれるのでは…という期待もあります。
 また、物理的にも多くの人との出会いや交流機会の増加により、新たな刺激や気付きが与えられることもメリットと言えます。各教区で行われている様々な活動に、教区の枠を超えて参加できる仕組み作りが必要です。特に中部教区は、青少年を対象とした活動が長く低調であると感じます。私自身もおぼろげながら聖職志願を意識する契機となった出来事は、中学生時代に参加した横浜教区の清里聖アンデレ教会で開催された冬季キャンプでした。 ―続く―

中日本宣教協働区:各教区代祷表(2022年度)

中日本宣教協働区では2022年4月より各教区諸教会を覚えて互いに祈り合うことになりました。
各教区(横浜・京都・大阪・中部)の代祷表を掲載し、お知らせいたします。
主日礼拝の中でお覚えくださいますようよろしくお願いいたします。
中日本宣教協働区の働きの上に、愛と平和の主の豊かな祝福がありますように。

教区間協働!?再編!?(6)“なぜ11教区なのですか?”(三)

 2000年代に入ってからの教区制改革の動向については、中部教区が先導的役割を担ってきたことなど、既に本欄で触れましたので割愛しますが、各教区間で様々な協働、交流が実践されてきました。その中でも特に、大阪教区と京都教区の合併を見据えた協働関係の深化は、今後の日本聖公会全体の教区再編へ向けての試金石的な取り組みとして注目されることになりました。
 大阪・京都両教区では2006年から合同の教役者会や常置委員会等が継続して開催され、2011年の両教区会で「大阪教区と京都教区の協働及び合併に関する検討委員会」の設置を決議しました。そして同委員会の「合併は必要かつ可能であり、合併を実行に移すべきである」との最終報告を受け、2013年の両教区会では「大阪教区と京都教区の合併を推進する委員会」の設置を決議、その後議論の末2017年に「特別協働教区」関係協定書が交わされ、「大阪・京都特別協働教区運営委員会」を中心に、合併を視野に入れたより具体的で実際的な協働プログラムが実施されてきました。そのような経緯を経て、昨年(2021年)の両教区会において2024年4月の合併を承認する議案が提出されました。
 しかしながら、採決の結果、京都教区は可決しましたが、大阪教区は可決必要数に達せず否決となり、2024年の合併は見送られることになりました。この結果は日本聖公会全体にも大きな衝撃を与えましたが、組織成立当初からの課題である教区再編実現の困難さを改めて浮き彫りにしたと言えるでしょう。しばらくは教区合併等による再編の動きは停滞するかも知れませんが、信徒数・聖職者数等から考えても、世界の聖公会(諸管区)と比べて極めて教区数が多い日本聖公会の実情を真摯に受け止め、日本聖公会全体の宣教の活性化のために、教区再編の議論と取り組みを継続していくことが大切であると思います。

教区間協働!?再編!?(5)“なぜ11教区なのですか?”(二)

 そのため1887年の組織成立当初からたびたび教区区域の見直し、再編について論議されてきました。特に戦時下の1941年に開催された第20総会では、それまでの2教区8地方部を廃して5教区とする提案が受理されましたが、最終的には地方部をそのまま教区へ移行することになりました(10教区制)。
 1970年代に入ると、アメリカ聖公会沖縄伝道教区の日本聖公会への移管(11教区制)を機に、より積極的な教区区域変動の可能性を調査する機関が総会決議によって設置され、1974年の第33総会では詳細な議論、研究を踏まえた3つの教区線引図案(2教区2伝道教区制、3教区4伝道教区制、2管区11教区制)が資料提出されました。そして教区制改革は日本聖公会全体の重要課題であるとの共通認識のもと、現任の全主教、各教区より選出された常議員各1名及び総会議長の任命する若干名で構成する「日本聖公会教区制改革委員」が新たに設置されました。
 しかし、同委員会での議論は教区区域の再編成に限定せず、むしろその基本となる教区・教会の体質の変革こそが緊要の課題との理解から、日本聖公会の教育・研修、財政、機構等の研究が行われ、その結果1977年の第34総会では「教区制改革(教区区域変更を含む)に関する建議」案を可決するにとどまり、その内容は日本聖公会を東日本と西日本ブロックに分け、あるいは隣接教区間において宣教のための協議、人事交流等を通して互いに理解を深め、必要な時に法規の手続きを経て新しい教区区域を設定するというものでした。
 その後、1994年に公表された『日本聖公会の現状および将来に関する主教会の見解』の中で、主教会は現在の教区区域が教会の宣教、牧会に支障を来たし、それに適合しにくいことを認識し、改編が必要であるとの考えを示し、特に「この課題の主導性は、主教会に期待されている。」と記しています。
―続く―

教区間協働!?再編!?(4)“なぜ11教区なのですか?”

 「日本聖公会はなぜ11教区なのですか?」洗礼、堅信準備の学びの中などで、よくある質問です。現在、日本聖公会には11の教区がありますが、11教区になったのは1972年にそれまでアメリカ聖公会に属していた沖縄(伝道教区)が日本聖公会に沖縄教区として編入されてからのことになります。日本聖公会のコンパスローズをモチーフとしたエンブレム(左図参照)の中央部にある+が11個なのは、その数を示しています。
 それ以前の教区(地方部)構成については、1887年の日本聖公会組織成立時にまで遡り、当初は4地方部(東京、大阪、熊本、函館)でした。その後、1896年に6地方部(東京南部、東京北部、大阪、京都、熊本、函館)となり、1900年代に入り、沖縄教区を除く現在の10教区の礎が築かれましたが、1923年に東京教区と大阪教区が初めて正式な教区とされた以外は、戦時下の国策であった「宗教団体法」などの影響を大きく受けながら、苦悩の中で教区成立に至りました。
 一方19世紀後半に開始された聖公会の日本伝道の内実は、アメリカ、イギリス、カナダの主に各宣教団体から派遣された宣教師たちによって担われましたが、教区区域については、元々それぞれの宣教団体の伝道区域として分割されたものであり、日本聖公会として全体的視野に立って定められたものではありませんでした。1967年に著されたC.H.パウルス司祭の言葉がそのことをよく表しています。「日本聖公会の現在の教区制度は永久的なものとは決して考えられていなかったということは、あまり知られていない事実である。それは暫定的に決められたものであって、種々の宣教師団がそれぞれ得手勝手な活動をしないように計画されたものであった。」(『日本聖公会の教区制度に関する歴史的一考察』より)-続く-