軽井沢ショー記念礼拝堂 第4回音楽のつどい

軽井沢ショー記念礼拝堂 第4回音楽のつどい
〜美しい紅葉の中、神様への感謝を込めてお送りする 声楽家によるコンサート〜

日時:
2019年10月20日(日)
11:30 開演(礼拝終了後)
*入場無料

出演:
テノール 澤﨑一了(Sawasaki Kazuaki)
バリトン 寺田功治(Terada Koji)
ピアノ  廣瀬充(Hirose Mitsuru)

詳細はチラシ画像をご覧ください

軽井沢ショー記念礼拝堂 第4回音楽のつどいチラシ

教会の「宗教活動」

先日、東京教区の教役者研修会で、「教会の財務」がテーマになりました。その中で、近年バザーの収益に課税されたり、教会の倉庫を地域の防災用に開放したところ宗教活動ではないと見なされ、固定資産税課税の対象になったりした事例が紹介され、驚くと同時に、教会と直接関係を持たない役所が、教会の働きを勝手に限定するような振る舞いに、正直憤りをも覚えました。そして、このような税務署の見方は、わたしたち自身の教会観を問い直すものでもあるとも思いました。

「教会とは何であるか」とは神学の根本的なテーマの一つで、「教会論」と呼ばれますが、この分野で近年注目されている「コミュニオン(交わり)教会論」というものがあります。これはひとつの「考え方」であり、様々なバリエーションを含むものですが、小生はこれを日本における教会の強力なモデルであると考えています。

コミュニオン教会論は、様々な「コミュニオン」に焦点を当てることにより、教会の法的・制度的な理解を超える可能性を持ち、世界に広がる普遍の教会と個々の教会との間にある相互の関係を強調するものです。小生なりにこれを言い換えると、「教会とはただじっと立っている建物のことでも、組織として運営されている団体のことでもない。キリスト者がさまざまに動き、周囲とのさまざまな関係を作ろうと努める中で、そこに生まれる『コミュニオン』のうちにこそ教会の真の姿がある」ということです。

日本のような社会で、教会がこのようなコミュニオンを築こうと動く時、それが旧来の意味での「キリスト教」的な範疇にとどまらず、地域社会や様々な団体などとの交わりとなっていくのはむしろ当然のことであり、そこに日本の教会の可能性があると思います。小生は学校勤務の機会を長く与えられてきましたが、その経験から言っても、キリスト教学校の中には「教会」の姿が確かにあり、「キリスト教」の枠を超えたところでキリストが働いておられるということを確信しています。教会の活動はこのような意味においてなされているのであり、従来考えられてきた「教会」の枠を飛び越えたところに生まれる「コミュニオン」を様々な姿で拡げていくことが、日本という地における教会の大切な働きではないでしょうか。

最初の税務の例に戻れば、ここで私たちが問わねばならないのは「宗教活動」をごく狭い領域に限定する視点、バザーや地域との協力は「宗教活動」ではないとする考え方に対し、「キリスト教はそんな了見の狭い宗教ではない」ということを宣言し、実際に示していくことです。逆に、「教会は主日の礼拝さえしていればよい」という方向に教会が向くならば、それはこのような世間の見方を自分たちで肯定するものであると言えるでしょう。

「教会がコミュニオンである」ということをわたしたちが形にしていこうとする時、そこには今まで想像もしなかったような教会の姿が現われるはずです。そこにキリストが共におられ、共に働いてくださることを信じて、さまざまなアイデアを出し合っていきませんか。

司祭 ダビデ 市原信太郎
(東京教区出向・岡谷聖バルナバ教会協力司祭)

〝譲渡令書〟

一昨年も触れましたが、岐阜市の「岐阜空襲を記念する会」による「子どもたちに伝える平和のための資料展」が今年も岐阜市・メディアコスモスで開催されました。今年は「お宮さんもお寺さんも火に追われた〜岐阜空襲のときの神社・お寺・教会」というテーマで展示が行われ、戦前の岐阜聖公会の建物疎開に関する資料も展示されました。

実は、相原太郎聖職候補生が教会の事務室から当時の強制疎開の命令書である「譲渡令書」を発見し、その写しが展示されたのです。そういう命令書が残っていること自体大変珍しいそうで、岐阜新聞や京都大学の関係者も関心があるようです。

そういえば、わたしが岐阜の牧師時代、小笠原主教様から教会の強制立ち退きの話を伺ったことがありました。当時、神田町にあった教会が空襲に備えるため強制的に立ち退きをさせられ、美濃太田に疎開したということでした。県の命令なので立ち退き料など一銭もなかったと言っておられたのを記憶しています。

譲渡令書は岐阜県知事名で、「(岐阜聖公会に係る)建築物ハ防空疎開事業施行ノ爲必要ニ付…岐阜縣ニ譲渡スベシ…防空法…ノ規程ニ依リ命令ス」というものでした。令書の日付が4月25日で、5月5日までに譲渡すべしというもので、極めて短時間での立ち退き命令です。その後、7月9日の空襲により岐阜市の中心部は灰燼と化し、約900名の方々が命を落とされました。

いざ戦争になれば一切の個人的な状況は配慮されず、すべてが「お国のため」に犠牲にされます。時代が変わってもその状況は変わらないでしょう。戦争を知らない世代が人口の8割以上を占める時代になりました。戦争が起こったらどうなるのかということへの想像を大いに働かせ、そうならないように努めなければならないのです。

主教 ペテロ 渋澤一郎

聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂聖歌隊『2019サマーコンサート』

軽井沢ショー記念礼拝堂にて、聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂聖歌隊による『2019サマーコンサート』が行われます。

2019年8月25日(日)
午前10時の礼拝後すぐ
*礼拝時間は約1時間くらいです
聖路加国際大学聖歌隊コンサートチラシ/軽井沢ショー記念礼拝堂

「キリスト教公開講座」日時・会場変更のおしらせ

7月18日(木)10:30から予定されておりました主教座聖堂理事会・中部教区センター共催「キリスト教公開講座(旧約聖書・担当箭野司祭)」ですが、担当牧師急用により7月24日(水)10:30からに変更になりました。

場所も教区センターではなく、隣接の名古屋聖マタイ教会ホールに変更となります。

楽しみにお待ちくださった方には申し訳ございませんが、ご理解の程、よろしくお願いいたします。詳しくは中部教区センター(052-858-1007)までお問い合わせください。

子どもたちに伝える平和のための資料展

2019年7月3日(水)〜11日(木)9時~21時(3日は12時から・11日は15時まで)、ぎふメディアコスモスにて開催されます岐阜市主催の「子どもたちに伝える平和のための資料展」におきまして、岐阜空襲に関係して岐阜聖パウロ教会の史料が展示されます。
7月2日(火)付の岐阜新聞の1面及び社会面に掲載されました建物疎開のための「譲渡令書」(複写)も展示されています。どうぞお立ち寄りください。

教会の政治的発言は、「政教分離」に反するの?

2月21日(木)、主教会と正義と平和委員会は、『天皇の退位と即位に関する声明「大嘗祭への国の関与は政教分離の原則に反します」』 を出して、大嘗祭を公的な行事とし国費を支出することが日本国憲法第二十条の「信教の自由の保障・政教分離」に反していることを指摘しました。また大嘗祭を公的な行事として位置づけることで、天皇が特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧し、強く抗議をしています。

教会が政治的な発言をすると、マタイ福音書22章21節「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」という聖書の言葉を引用して、「政教分離の原則に反する」という批判を目にすることがあります。しかし、政教分離の原則は、わたしたちの日本では信教の自由と分かちがたく結びついていて、思想、信条自由や言論の自由とも深く関係するものです。憲法第二十条は次のように規定されています。

憲法 第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

この憲法第二十条第三項にあるように、政教分離の原則とは国家が宗教と分離していることを意味します。言わんとしていることは「国家と宗教」の分離であって、国家が特定の宗教に関わりを持つことを否定する原則で、基本的人権の信教の自由を保障するものです。「政」という漢字が使われてはいますが、政教分離の「政」は「政治」でも「政党」でもなく、「政治と宗教」の分離を言っているのではありません。

日本国憲法第二十条第一項の後段「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」を引き合いに出して、宗教団体が政治活動をすると政教分離に反するという誤解もあるようです。この規定は、国から特権を受ける宗教を禁止し、国家の宗教的中立性を明示したものです。

日本国憲法の精神が求める政教分離の原則は、戦前に国家と国家神道が一体となってアジアの多くの人々と日本の国民の命と基本的人権を侵害したことへの反省から規定されているものです。このことを抜きにして、この政教分離の原則と信教の自由を考えることは出来ません。繰り返しになりますが、国家の宗教的中立性を要求しているのであって、宗教者の政治的中立を要求しているのではありません。

むしろ、日本国憲法は「結社の自由」を保障しており、宗教団体にも結社の自由があります。神を信じるものが集まって宗教団体を組織することはもちろん自由で、その宗教団体が、自らの信仰に基づいて政治活動をすることも禁じられてなどいないのです。

むしろ教会は政治体制に拘束されることなく、福音宣教によって神さまの言葉を宣べ伝え、イエスさまの言葉と行いに基づいた、キリストの価値観をこの世に示していくことが、わたしたち教会の大切な責任ですらあります。

ですから、今回の「天皇の退位と即位に関する声明」は、過去にキリスト教会が「社会的儀礼」であるとして、信徒の神社参拝を許してしまい、日本国家と国家神道が一体となって、戦争に邁進することに協力をしてしまったこと、預言者的使命を果たすことが出来なかったことへの反省としても、教会の意思を表明せざるを得ないものなのです。

基本的人権は神さまによって与えられたものです。国が政教分離の原則をないがしろにし、基本的人権を侵害しようとするときには、教会は、聖書の言葉に従ってそれを正して行く預言者としての役割を果たさなければならないのです。

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マルコ教会・愛知聖ルカ教会牧師)

〝北海道教区と中部教区〟

去る5月16日(木)から18日(土)、北海道教区の教役者会と教区成立145周年記念の教区礼拝に参加させていただきました。教役者会では講話を、教区礼拝では説教をさせていただきましたが、北海道教区の空気を肌で感じることもでき、また、中部教区のことも少し報告させていただきました。他教区のことはなかなか分からないことが多いのですが、小さくてもこのような交流を通してお互いをより良く理解することができるのではないかと感じました。

実は、北海道教区と中部教区とはお互いに初期の宣教段階では関わりがあります。中部教区の宣教は1875年(明治8)、英国聖公会宣教師のP.K.ファイソン司祭によって新潟で始められましたが、ファイソン司祭は後に北海道教区初代の主教になっておられます。ですから、ファイソン司祭(主教)の働きを通して中部教区と北海道教区とはつながっているとも言えるのです。

ファイソン司祭は新潟で7年間宣教されましたが、その間、10名ほどの受洗者があったと「教区のあゆみ」には記されています。その内のお一人が後に中部でも働かれた牧岡鐵彌司祭で、もうお一人が芥川清五郎師です。芥川師は後に北海道教区で伝道師になり、バチェラー司祭のもとでアイヌ伝道にも従事された方です。そんなつながりも北海道教区と中部教区にはあるのです。(芥川先生のお孫さんたちにもお会いできました。)貴重な経験に感謝でした。

7月10日(水)には教区逝去教役者記念聖餐式が行われますが、当日は丁度、森紀旦主教様の逝去1周年に当たっています。敦子夫人と主教様の妹さん、弟さんも出席される予定になっています。主教様の葬儀は東京で行われましたので、当日は教区としての逝去記念式の意味も含まれます。皆様のご出席をお願いいたします。

主教 ペテロ 渋澤一郎

〝塗油のすすめ〟

去る4月18日・聖木曜日、聖油聖別の聖餐式が行われました。聖油は祈祷書の「病人訪問の式」の「塗油」で使用されます。祈祷書には、「教会はその初めから病人に塗油し、その体と魂の回復を祈ってきた」とありますが、新約聖書のヤコブの手紙の「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます」から来ています。また、福音書にも使徒たちが油を塗って病人を癒したこと書かれていますので、塗油はイエス様の大事な業の一つなのです。

塗油は病気の人の体と心の癒しを目的としていますが、多くの場合、病気がかなり重篤になってから用いられることが多いようです。塗油は決して終わりに用いるものではなく—もちろん、その場合にも使われますが—体と魂(心)の回復を祈るものですから、どんな病気に用いてもいいのです。風邪をひいて熱がある、というような時でもいいのではないでしょうか。塗油は決して魔術ではありません。主イエス様の名によって祈ることが大事なのです。その祈りと共にイエス様がいてくださり、病気の人が身体的にも精神的にも元気になるように—起き上がることができるように—力を与えてくださるのです。聖油が大いに用いられますように。

4月6日、退職されて大阪にお住まいであった村岡明司祭が91歳で逝去されました。村岡司祭は1986年、大阪教区から中部教区に移籍され、主に上田、軽井沢で宣教・牧会に従事されました。今日の軽井沢ショー記念礼拝堂の基礎も築かれました。村岡司祭の魂の平安をお祈りいたします。