主教座聖堂 礼拝等休止のお知らせ

8月より下記の礼拝について新型コロナ感染症感染拡大の影響により当面の間休止といたします。

  • 祝日の聖餐式
  • 毎週水曜日の聖餐式
  • 教区逝去教役者記念聖餐式(レクイエム)
  • 英語聖餐式

再開の目処がつきましたら再度ご連絡いたします。ご理解ご了承の程、よろしくお願いいたします。ご不明な点がございましたら、中部教区センターまでお問い合わせください。

中部教区センター
電話:052-858-1007

PDFファイル:主教座聖堂礼拝休止のお知らせ.pdf(126KB)

中部教区センター開館時間変更

いつも中部教区センターをご利用いただきありがとうございます。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中部教区センターの開館時間を8月3日(月)より当面の間、10:00~16:00に短縮いたします。
ご不便をおかけするかもしれませんが、ご理解の程、よろしくお願いいたします。

北信五岳のもとで

長野県に赴任して2年が過ぎました。新生病院のある小布施町は、山あいの、花に囲まれた里といった感じのところです。病院からは、地元の人から「北信五岳」と呼ばれる山々を眺めることができます。飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山。それぞれが美しく、個性的な姿かたちをもっています。

堂々と佇んでいる、山の姿。季節ごとに変わりゆく緑に彩られつつ、変わることのない、その安定に魅かれます。山々はまるで、イエスの弟子達のように、私には感じられます。復活のイエスに出会って人生を変えられ、生きることの確かな拠り所を得て、信仰の旅路を歩き通した、諸先輩の姿のようにみえてくるのです。

私はこの山々のもとで、病院のチャプレンとして働いています。「病気と向き合っている患者さんやご家族と過ごす」という役割をいただいたことを、私は嬉しく思っています。その一方で、慌ただしい毎日の中、ふと自分が、足元ばかり見つめて歩いていることに気付きます。

夕の祈りを終えて職場を出るとき、「今日の働きを終えることができた」という安堵感と共に、今日病棟で出会った人や、見送った人のことを思います。交わされた言葉や、共に過ごした時間を思い起こし、「あれで良かったのだろうか」「こんな挨拶をしてみよう」「明日はどうしようか」などとあれこれ考え、頭がいっぱいになったまま家路につくことも少なくありません。

しかし、私の思いを越えて、目の前には、広々とした夕暮れの山脈の景色が広がっています。鳥の鳴く声が聞こえて、
顔を上げると、山々が雲をまとって、遥か向こうから見下ろしています。何も言わず、穏やかに、その場所にそれぞれに在り続ける山々の姿が、私の気持ちを解きほぐしてくれるのです。

かつて新生療養所(新生病院の前身)で看護師長を務めていたカナダミッションの宣教師、ミス・パウルは、「目を上げて、私は山々を仰ぐ」(詩編第121編1節)から始まる詩編を好んでおられたそうです。同じ景色を、ミス・パウルも眺められたのかと思うと、この場所で患者さんの看護のために人生を捧げた彼女に、時を越えた親しみをおぼえます。

6月より礼拝が再開し、信徒の皆様との祈りの時間が再び持てるようになったことは、心からの喜びです。夕の祈りに参加してくださる方々にも、力をいただいています。北信五岳のような確かさに憧れつつ、決してそうはなれない私ですが、本当はいつも、確かな存在に、そして信仰の家族である兄弟姉妹や、職員、ボランティア、患者さんやご家族など、沢山の人達に手を引かれて歩いているのです。

今日も私のことを、笑顔や嬉しそうな顔、苦しみに満ちた顔、悲しい顔、怒った顔、寂しげな顔など、様々な表情で迎えて下さる方々が、待っています。生きることの確かさは、やはりそれらの方々と一緒に、一日を精一杯過ごすことから生まれてくるのでしょう。

感染症の流行や大規模な自然災害が、今世界中の人々を恐れと不安の中に巻き込んでいます。しかし、目を上げて、「わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」(詩編第121編2節)という願いを持ち続け、皆様と手を取り合い、歩んでいきたいと思います。

執事 洗礼者ヨハネ 大和孝明
(新生礼拝堂牧師補、新生病院チャプレン)

鐘楼のブルーライトアップ

中部教区主教座聖堂では、新型コロナウイルス感染症の治療に尽力されている医療従事者や、その他の社会を支えるエッセンシャルワーカーの方々に謝意を表して、6月から鐘楼をブルーにライトアップしております。

日没から夜の9時頃、名古屋市御器所の近辺をお通りの際は是非ご確認ください。

<主教座聖堂 住所>
〒466-0034
愛知県名古屋市昭和区明月町2-53-1

青くライトアップされた中部教区主教座聖堂の鐘楼

6月の教区逝去教役者記念聖餐式中止(7月と合同開催)の件

6月15日(月)に予定されておりました教区逝去教役者記念聖餐式(レクイエム)は、諸般の事情により7月と合同で行うこととなりましたので、お知らせいたします。
尚、ともしび5・6月号にも案内が出ておりますが、このような状況ですので、その旨ご了解いただきますようお願いいたします。

新型コロナウイルス感染症への対応について3

中部教区のみなさま

5月31日に中部教区の各教会へ「新型コロナウイルス感染症の対応について3」と「礼拝再開に関するガイドライン」のお知らせをお送りいたしました。ガイドラインにありますように、原則として感染防止要件を全項目確保できない場合は礼拝を再開することはできません。教会委員会等で教役者と信徒の協議を踏まえ各教会で再開の準備を進めてください。


[以下「新型コロナウイルス感染症の対応について3」を全文掲載]

新型コロナウイルス感染症への対応について3
~礼拝再開へ向けて~

中部教区の皆さま

2020年5月31日
日本聖公会中部教区
管理主教 イグナシオ 入江 修
常置委員会

✛主の平和がありますように。

新型コロナウイルス(COVID-19)の感染状況は徐々に変わりつつあり、中部教区にある4県の緊急事態宣言も5月14日(木)に解除されました。しかし、現状としては以前の生活に戻れるということではなく、今一度感染が拡がらないように気を引き締める時期でもあります。そこで、礼拝再開へ向けて、引き続き感染予防と他人に絶対感染させない努力が必要となります。
つきましては、感染者数や公共交通機関の利用等の地域差も考慮し、以下のように教区方針を改めることといたします。皆さまには、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

1.6月1日以降の主日及び週日の礼拝の再開時期については、各教会において決定する。

ただし、再開にあたっては、原則として別添の5月31日付 『礼拝再開に関するガイドライン』 に示された、感染防止要件の全項目が確保できることが再開の条件となります。
礼拝再開の可否の検討にあたっては、各教会において教役者、信徒で協議の上、合意が十分に得られない場合には、無理をせず再開に向けて話し合いを続けてください。その際、近隣の教会と歩調を合わせることをお勧めします。また、礼拝休止を継続している他教区(東京教区等)エリアに在住する教役者の中部教区内教会での礼拝奉仕については、当面の間、引き続き見合わせます。尚、感染拡大が再発した場合は、再度礼拝休止の判断をすることがあります。

2.会議、集会、行事等については、段階を踏んで再開する。

一気にすべてを再開せず、3密(密閉・密集・密接)の回避、マスクの着用、手指消毒の徹底等を心掛け、徐々に再開してください。当面は、飲食を伴う愛餐会等は控え、可能であればWebやメールを用いての開催もご検討ください。

3.教区の礼拝、会議、集会、行事等についても、同様とする。

 新型コロナウイルス感染症が一日も早く終息しますように。また、感染された方々、医療従事者をはじめ、厳しい環境の中で懸命に働いておられる方々、困難と困惑のうちにある方々の上に、ご復活の主の癒しと慰め、祝福と励ましが豊かにありますように。そして、尊い命を失われた方々が神さまのみ許で安らかに憩うことができますように、心よりお祈りいたします。

在主


[以下「礼拝再開に関するガイドライン」を全文掲載]

『礼拝再開に関するガイドライン』

2020年5月31日
中部教区常置委員会

 以下の各項目は、中部教区にある各教会において、礼拝を再開するための最優先事項です。原則として、感染防止要件である全項目が確保できない場合は、礼拝を再開することはできません。各教会において、教役者、信徒で協議の上、合意が十分に得られない場合には、無理をせず、段階を踏んで再開に向けて話し合いを続けてください。

  1. 礼拝出席者は必ずマスクを着用し、入口で手指消毒を徹底してください。
  2. 発熱又は感冒様症状(かぜの症状)がある方の出席は、自粛するよう周知ください。
    尚、ご家族に同様の症状がある場合も出席を控えてください。教役者に症状がある場合は、「み言葉の礼拝」など信徒による礼拝をお献げください。
  3. 礼拝堂内は十分な換気を行ってください。30分に一度は窓を開けるなどして、空気を入れ替えるよう努めてください。
  4. 会衆席は一列おきに着席するなど、前後左右2メートル程度の距離が保てるよう工夫してください。ただし、同居のご家族は隣り合って座っていただいても構いません。出席者が多く、座席の確保が難しいと予想されるときは、礼拝回数を増やすなどの対応をお願いします。
  5. 礼拝時間は短縮を心掛け、聖歌を歌う場合は2曲程度にとどめ、発声も抑えるようにしてください。
  6. 教会備え付けの祈祷書、聖歌集などの使用は極力控え、自身のものを持参して礼拝に臨んでください。
  7. 平和の挨拶は、握手や抱擁などの接触行為は行わず、会釈にとどめてください。
  8. 献金は礼拝中には集めず、礼拝堂入口などに献金箱(袋)を用意し、礼拝前にお献げください。
  9. 陪餐は、司式者以外は当面一種(パンのみ)の陪餐を原則としてください。
    尚、病気などにより固形物がとれない方への対応は、状況に応じてご判断ください。
  10. 礼拝終了後は、必要最低限の報告、会話にとどめ、速やかに解散してください。

<礼拝奉仕者の皆さまへのお願い>

  1. 聖具類は洗浄、消毒を徹底し、清浄なものを用いてください。
  2. 準備、礼拝中、片付けの際に聖具類に触れるときは、必ず前後に手指の消毒をしてください。
  3. 礼拝中は必ずマスクを着用してください。ただし、司式者は聖具類、他の奉仕者との間に十分な距離を確保できれば着用しなくても構いません。
  4. 聖書朗読者及び説教者は、参列者との間に十分な距離を確保できれば、その間マスクを外しても構いません。
  5. 祭服はその都度自宅へ持ち帰り、ベストリーに備え置かないよう心掛けてください。

<その他、ご留意いただきたいこと>

  1. 会計担当者は、会計処理の前後に手指の消毒をしてください。
  2. 礼拝後、使用した会衆席や礼拝用書などは、速やかに消毒してください。
  3. 台所やトイレなどには共用で使用するタオルは置かず、各自タオルを持参するか、使い捨てのペーパータオルを設置してください。(ハンドドライヤーも使用しないでください。)
  4. 複数の人の手が触れる場所を適宜消毒してください。(例:テーブル、椅子の背もたれ、ドアノブ、蛇口、手すり、エレベーターのボタン、電話など)
  5. 清掃・消毒は、市販されている界面活性剤含有の洗浄剤や漂白剤を用いて行ってください。通常の清掃後に、不特定多数の人が触れる環境表面を清拭消毒することが重要です。手が触れることの少ない床や壁は通常の清掃で構いません。
    以下は特にご留意いただきたい点です。

    • トイレ:便器内は通常の清掃で構いませんが、不特定多数の人が接触する部位は清拭消毒を行ってください。また、使用後は蓋を閉めてから汚物を流すように表示してください。
    • ゴミ:原則としてゴミは各自が持ち帰るよう心掛けてください。特に、鼻水や唾液などが付いたゴミは、ビニール袋に入れて密閉してください。また、ゴミを回収する人は必ずマスクや手袋を着用し、外した後は石鹸と流水で手洗い、消毒を徹底してください。

以上


PDFファイル:
新型コロナウイルス対応について3.pdf(251KB)
礼拝再開に関するガイドライン.pdf(191KB)
ライブラリからもご覧いただけます。

管理を委嘱されて

 中部教区の皆さま、この度、10月までの半年余りの間、中部教区の管理を仰せつかった入江です。どうぞよろしくお願いいたします。
 昨年11月の中部教区定期教区会での主教選挙で西原廉太司祭が選ばれ、中部教区の皆さま共々、3月の按手・就任式を喜びのうちに待っておりました。
 ところが、思いも寄らず、新型コロナウイルスの感染が広まり、按手・就任式は5月2日に延期となりました。そして、それに伴い、首座主教より管理を委嘱されました。
 当初は4月から5月2日迄の1か月ということで、委嘱をお受けしました。
 ところが、その後、感染はますます拡大し、主教按手・就任式は10月24日まで再度の延期ということになり、正直、少々戸惑いましたが、既にお受けしたことでもあり、引き続き10月までご一緒させていただくことにいたしました。
 さて、私の出身地は横浜なのですが、実際に生まれたのは長野県の小布施です。母方の実家が小布施にあり、母は里帰りをしてそこで私は生まれました。
 小学生の頃、夏休みに帰省ラッシュの中、上野駅で何時間も列車を待って小布施を訪れたことを覚えています。
 戦後は、伯母が当時の新生療養所で看護師をしていたこと、カナダから来られていた医師のことなどを母から繰り返し聞いています。
 久保田純一司祭は叔父に当たり、飯山復活教会に赴任していた頃、毎年、夏休みに1週間ほど従妹とそこで過ごしたもので、その頃、司祭館の縁側にはたくさんのクルミの実がありました。
 そのような懐かしい中部教区の管理を仰せつかり、教会をお訪ねする機会を楽しみにしていたのですが、ウイルスの感染は未だ収束に至らず、中部教区でも皆さまがいっしょに集まって礼拝をささげることができない状況が、なおしばらくは続くようです。
 そうした中で、皆さまがそれぞれの場所で心を合わせて祈りをささげ、み言葉に聞くことは、改めて私たちの信仰生活にとって大切なものとなっています。
 教役者はそれぞれ遣わされている教会で、主日を含めて日々の定時に礼拝をささげていますが、信徒の皆さまも、離れていても祈祷書と聖書を開き、一緒に祈りの時を持つことによって主にある豊かな交わりを保つことができると思います。
 その時はぜひ声に出して祈りをささげ、また聖書のみ言葉を読んでみてください。静かに黙読されてももちろんよいのですが、目で読み、それを声に出してその声を耳で聞くことで、一つ一つの祈りやみ言葉がよりいっそう確かなものとなって心に留まっていくことでしょう。
 困難な時ほど人間の本当の姿が現れます。このような時こそ、私たちが常に祈り、そして聞いたみ言葉に忠実に歩み、互いの痛みに心を砕き、他の人びとと共に助け合い支え合って、このような困難をご一緒に乗り越えて参りましょう。
 新主教の誕生までの間、どうぞご一緒ください。
 皆さまの上に、主の慰めと励まし、そして導きと御守りが豊かにありますようお祈りいたします。

管理主教 イグナシオ 入江 修
(横浜教区主教)

中部教区教役者団バーチャルクワイヤ

聖霊降臨日に合わせ、中部教区教役者から「バーチャルクワイヤ」が届きました。
皆で聖堂に集い共に歌うことが難しいですが、礼拝が再開されることを祈りつつ、皆様への励ましになれば幸いです。

歌は”Veni Sancte Spiritus”〜聖霊よおいでください〜というフランスにある「テゼ(Taize)共同体」の中で生まれた聖歌です。
(映像編集作業はすべて市原信太郎司祭がしてくださいました。)
教役者の皆様、お忙しい中ありがとうございます。

聖霊降臨日・特別メッセージ

2020年5月31日
主教被選者 司祭 アシジのフランシス 西原廉太

 

[以下動画の内容をテキストで掲載]

 おはようございます。私たちはペンテコステ、聖霊降臨日を迎えました。本日は、聖霊降臨日についてご一緒に黙想の時を過ごしたいと思います。

 聖霊降臨日の礼拝の起源は大変古いものです。4世紀頃、エテリヤ(エゲリヤ)と呼ばれる女性が、聖地、エジプト、小アジア、コンスタチノープル一帯の巡礼の旅をしました。その記録、紀行文のようなものが現在でも残されております。それは、『エテリヤ(エゲリヤ)の巡礼記』と呼ばれていますが、11世紀以降、所在が分からなくなっていたのですが、1884年に、スペインのガムリーニという人によって再発見されました。その『エテリヤの巡礼記』には、4世紀当時のエルサレムでは、どのような礼拝が守られていたかが書かれています。それによりますと、聖地では、エピファニー(顕現日)、イースターと共に三大祝日として、今日のこのペンテコステ(聖霊降臨日)が守られていたようです。

 西方教会でのペンテコステの礼拝は、当初は立ったまま行われていました。そして、礼拝の中ではアレルヤ唱が何度も唱えられ、また、少なくとも13世紀位までには、“Veni Sancte Spiritus”(「聖霊よ、おいでください」)という短い歌(セクエンティアと言いますが)が繰り返し歌われるようになりました。“Veni Sancte Spiritus”(「聖霊よ、おいでください」)と繰り返し歌いながら、人々は本当にキリストの息、神の息をその身に感じながら、ペンテコステの祭りを祝っていたのです。

 本日の聖霊降臨日の福音書である、ヨハネによる福音書第20章19節以下には、イエスさまの弟子たちが最初にこの聖霊を受けた出来事が描かれています。イエスさまが十字架に架けられ、息を引き取られ、そして墓に葬られてからまだ三日しか経っていない時のことです。弟子たちは、一つの隠れ家に集まり息をひそめていました。彼らもまたイエスの「一味」として追われる身であったのです。彼らは身の危険を感じ、ぶるぶると震えていました。福音書にもこのように記されています。

 「弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」

 彼らは、本当に恐ろしかったのです。不安と絶望に打ちのめされていたのです。ところがその時、驚くべきことが起こりました。イエスさまが、弟子たちの真ん中に立っておられるのです。そして、こう弟子たちに語られました。

「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」

 そのように語られてから、イエスさまは、「聖霊を受けなさい」と、弟子たちに息を吹きかけられた、と記されています。

 「聖霊」とは、主イエスの「息」なのでありました。確かに、聖霊とは「息」であります。ヘブライ語で「聖霊」は、「ルアッハ」と言います。これは「息」あるいは「風」を意味します。聖霊とは神の息であり、神の風であります。何か体に受ける力、エネルギーのようなものです。
 主イエスの息、聖霊を受けた弟子たちは、この瞬間から、生きる力を回復します。希望を取り戻します。あれほどまでにも、不安と絶望の内に震えていた彼らが、死んだようになっていた彼らが、命を回復したのです。そして、弟子たちは、大胆に主イエスをキリストとして証ししていきます。この力こそが聖霊です。キリストの息、神の息なのです。
 イエスの十字架上での死によって絶えたはずの主イエスの福音は、こうしてよみがえりました。神の息を受け、聖霊を体に満たしたこの弟子たちは、再び福音を宣べ伝えていく勇気を取り戻しました。

 聖霊は、打ちのめされた者、絶望の淵にある者、痛み、苦しみにある者、疲れた者に与えられる生きる力です。私たちが”Veni Sancte Spiritus”(「聖霊よ、おいでください」)と唱える時、私たちは、神の息に満たされ、苦しみや疲れは癒され、明日への希望と勇気が備えられるのです。
 預言者エゼキエルがイスラエルの罪に満ちた現実に直面し、腰から砕け落ちた時、神はエゼキエルにこう言われました。「人の子よ、自分の足で立て。」すると、聖霊がエゼキエルの中に入り、エゼキエルを自分の足で立たせた、と書かれています。神の聖霊が息のように彼らの体に入り、自分の足で立たせた、のであります。

 さて、実は本日の福音書には、もう一つ非常に大切なことが記されています。それは、20節にあります。イエスは、「そう言って、手とわき腹とをお見せになった」という箇所です。イエスさまは手とわき腹を見せられた。すなわち、十字架上で釘を打ち抜かれた手とわき腹の傷跡をお見せになったのです。
 本日の福音書は23節までが読まれましたが、すぐあとの24節以降には、トマスがこのイエスのわき腹の傷に直接手を当てて、主を信じる物語が置かれています。イエスさまは、トマスにこう言われます。

「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」

 そして、トマスはうめくように、振り絞るように言葉を発します。

「わたしの主、わたしの神よ。」

 トマスに声をかけられたイエスは、栄光のイエスではありませんでした。復活されたイエスとは、光輝く天の衣をまとい、金の王冠をかぶったイエスではなかったのであります。トマスと弟子たちの前によみがえられた主とは、手に傷を負い、わき腹から血を流し、荊の冠をかぶらされたままの姿であった、のであります。おそらくトマスは実際に、その主の傷に、自らの手で触れたのだと思います。

 主イエス・キリストは、傷を負われたまま、よみがえられました。その傷とはいったい何であったのでしょうか。イエスさまは、その短い公生涯の間、虐げられた人々、病める人々、体の不自由な人々、捨て置かれた人々の痛みと傷を自ら負われ、ついには十字架に架かられました。そして、その無数の痛みと傷を担われたまま、主イエスはよみがえられました。まさに、この事実に、トマスはただ、「わたしの主、わたしの神よ」という、この世で、最も短く、同時に最も完全な信仰告白の言葉を発することができたのでありました。

 また、イエスさまの手とわき腹の傷は、他ならない、私たちの傷でもあります。イザヤ書第53章には有名な「苦難の僕」の記述があり、よく、イエスの十字架はこの「苦難の僕」とのつながりの中で考えられます。このような記述です。

「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。」「彼が担ったのはわたしたちの病。彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに」。

 イエスさまは、私たちの苦しみ、悲しみをこそ担われ、それゆえに十字架の上で「荊の冠」をかぶせられ、そして、私たちの痛みと傷を負われたまま、よみがえられます。私たちは、それゆえに生きていくことができるのです。

 弟子たちは、主の息をその身に感じ、そして主の傷にその手で触れることによって、「わたしの主、わたしの神よ」と証しすることができました。主イエス・キリストの息と傷についての弟子たちの記憶が、その後弟子から弟子へと伝えられ、それがやがてキリストの体としての教会となっていきました。そういう意味では、「教会」とは「イエスの息と傷を記憶し続ける共同体」であると言うことができると思います。その記憶は、今や全世界に伝えられました。2000年の後の今、私たちが聖霊降臨を祝っているのも、主の息と傷についての、弟子たちの具体的な記憶が絶えることなく受け継がれてきたからに他なりません。

 今、私たちは、新型コロナウィルス感染症の蔓延のために、今日の聖霊降臨日も、共に礼拝堂に集まることができません。私たちは、教会で、お互いの息も感じることもできず、「主の平和」を互いに手を触れ合いながら交わすこともできません。それは教会としては大変寂しいことです。
 けれども、私たちは、そのような状況であるからこそ、2000年前の主の弟子たちを思い起したいのです。彼らも、イエスさまの息を感じ、その傷を手に触れることはできなくなりました。しかし、彼らは、そのあと、主イエス・キリストの息と傷を、「記憶」として、その後の者たちに受け継いでいったのでした。いつかまた、イエス・キリストが、私たちのもとに来られるその時まで、イエスさまの息と傷を記憶しながら、ひたすらに「待つ」ことに生きたのでした。私たちも、このような時であるからこそ、主イエス・キリストの息と傷についての弟子たちの「記憶」を、深いところで黙想したいのであります。

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 さて、ここに、私が大切にしている一冊の写真集があります。『家族の日記』と題された、小倉英三郎さんという方が撮られたものです。小倉さんのおつれあいである亮子さんが、27歳の若さでガンを宣告され、そして亡くなるまで、小倉さんは最愛の妻と二人の幼い子どもたちにカメラを向け、シャッターを切り続けられました。それが一冊にまとめられたのが、この写真集です(小倉英三郎『家族の日記』未来社、1995年)。
 池袋の文芸座という名画座のアルバイトを通して出会われたお二人は、結ばれて鉄平くんという男の子を授かり、幸せな生活を送っておられました。ところが、二人目の子どもがお腹の中にいて、もう直に出産という時に、亮子さんは、第3期の乳ガンであることを宣告されます。出産が済むまでは抗ガン剤などの治療を受けられずに、病状は進行してしまいました。

 小倉さんが写真集を作ろうとされた理由が後書きに書かれています。

「彼女が出産を控えた微妙な時期に、深刻な病気を宣告された、ということもあって、私たちには選択の余地も時間的な余裕もありませんでした。私たちは、お互い心の整理もつかぬまま、先行していく運命に追いつこうと必死でした。今まであったはずの日常生活はもうありませんでした。だから行き先のわからない運命にとまどいながらも懸命に生きている、亮子や子どもたちの日々を記録することで、家族の存在を確認したかったのだと思います。亮子にしてみれば、生まれてくる赤ちゃんのこと、1年と10ヶ月、片時も離れずに暮らしてきた鉄平のこと、自分の乳房を失うこと、そしてそんな代償をはらっても油断できない病気のことに、どれだけ心を痛めていたかわかりません。母として、妻として、そして女としてあった自分の居場所を見失って心細くしていたと思います。」

 写真集は長男の鉄平くんと、生まれたばかりの青佳(はるか)ちゃんを抱きながら病気と闘う亮子さんの姿が残されています。結局、1994年10月4日のことですが、28歳の誕生日を10日後に控えたその日、早朝、亮子さんは亡くなられました。

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 たくさんの写真の中でも、私が最も心を揺り動かされるのが、この写真です。病院から一時帰宅を許された亮子さんが、電車の中で、鉄平くんをぐっと抱きしめて離さない写真です。今日、この写真集をご紹介しようと思いましたのは、私はこの1枚の写真からいろいろな黙想を促されたからです。

 イエスさまが弟子たちに息を吹きかけられた時、きっとイエスさまはこんな風に弟子たちの一人一人をぐっと抱きしめられていたのではないか、と思うのです。息は、遠くからでは決して届かない。こんな風に、抱きしめられながら、鉄平くんが体の温もりの中、亮子さんの息遣いをその頬に受けたように、弟子たちもまた主イエスの息づかいを感じていたのではないか、と思うのです。

 小倉さんは、あるエッセーの中でこう書かれています。

「妻の手術の傷を直接この手に触れ、そして直面する運命にひきずられるように写真を撮り続けた。そして今、私の手は妻の傷をはっきりと覚えている。一枚一枚の写真は、確かに亮子が生きていたことの大切な証しである。いや今そうやって、亮子は私たち家族の中に生きているのだ。」

 写真評論家の飯沢耕太郎さんは、この写真集を、『終わらない家族』と評されました。

 弟子たちも、もはやイエスさまとじかに触れあうことが許されなくなったけれども、しかしながら、主イエスの傷をその手にはっきりと覚え続けたはずです。そうやって、主は弟子たちの中に生き続けたのです。確かに、私たちの教会とは、主イエスの息と傷を記憶し続ける、『終わらない家族』であるのかも知れません。私たちも、主の息を頬に感じ、この手に主の傷を覚えて生きていきたい、と思うのです。♰

主教座聖堂 主日礼拝ライブ配信のお知らせ

5月10日より、主日礼拝のライブ配信(中継)を開始いたしました。
YouTubeにて中部教区主教座聖堂の聖餐式をリアルタイムで視聴することができます。

現在、中部教区ではコロナウイルス感染拡大防止のため全教会で主日の公祷を休止していますが、この配信を通して共に祈りを捧げられたらと思います。引き続き、教会での礼拝は教役者のみで行います。家庭での礼拝にご協力お願いいたします。

◆配信予定日

5月17日
5月24日
5月31日

◆ご視聴方法

以下のURLをクリックし、Youtubeの「中部教区センターチャンネル」ページに移動します。
https://www.youtube.com/channel/UCyoaY7NubvSwCRgHU3PjpPA
配信時刻になりましたら「ライブ配信中」のマークがついた動画をクリックしてご視聴ください。