『おめでとう、 恵まれた方』 

クリスマスおめでとうございます。 諸聖徒日に信徒の墓参式で豊橋市の飯村 (いむれ) 霊園に行くと、 苔むした古い大きな墓石に 「神婢」 (神のはしため) と書いたロシア正教のお墓に沢山出会います。 そうか、 ロシア正教ではこのような書き方をするのかなと思うだけでしたが、 クリスマスが近づくと、 まてよ、 これはイエス様の母となられたマリア (ヘブル語読みではミリアム) さんの言葉ではないかと気付かされました。 ルカによる福音書では名も知られないナザレ村のマリアに神の使いが言います。 『おめでとう、 恵まれた方』 と。 でもマリアはこの挨拶を理解出来ません。 これから婚約者ヨセフとのささやかな幸せが訪れようとしているのに、 この方は何を困難な事を私なんかにと、 恐れと不安に包まれます。 けれど 「あなたの親類のエリサベトも…」 と告げられると、 あのエリサベトさんは高齢で不妊の女と蔑まされていたのに、 あの方も神様の祝福を頂いているのですねと、 神様の恵みの力に圧倒されてしまいます。 そして幼子イエスの母になることは神様の御心として 「私は主のはしためです。 お言葉どおり、 この身になりますように」 とマリアは主のはしためとして生きる道、 そして主が共におられる道を歩み始めます。 先の事はどうなるか分りません。 けれどこれから歩もうとする道は、 どんな困難な事があっても神様が共にいて導いてくださり、 神様の御心にかなった道であることを祈るものでした。 自分のささやかな幸せを求める人から神様の御心を求め祈る人になっていったのがマリアの道ではないかと思います。

長野在任中、 ある時美術を学んでいる大学生が聖堂に来ました。 聖堂内にはいくつかの聖画が飾られており、 そのなかに聖母子の描かれたものがありました。 その学生が 『これは誰の作品ですか』 と質問するので、 絵の裏を見ても作者が書いてありません。 私も調べてみましょうと、 聖母子の本を調べ、 絵画の世界のマリア探しが始まりました。 けれど同じ絵の作者がどうしても分りませんでした。 後日再度訪れた学生さんには聖母子を探したけれど見つかりませんでした、 今度はあなたも探していただけませんかとお願いしたまま長野を離れました。 そんななか、 今までは墓地礼拝をしても、 他教派の墓石があるなと思っていただけでしたが、 今年信徒の方と墓参し、 ロシア正教会の墓碑には 「神婢」 と書かれていることに初めて気が付きました。 そうか、 絵の中にマリアさんを探していたけれど、 ここにも、 ここにも 「おめでとう、 恵まれた方」 と神様の招きに応えて 『わたしは主のはしためです。 お言葉どおりに』 と恵みに包まれ信仰の道を歩み、 生涯を奉げられたもう一人の 「マリアさん」 がいたことを知らされる思いでした。 クリスマスは 『おめでとう、 恵まれた方』 と、 私たち一人ひとりに目を留め、 神様の恵みの道に招かれる出来事です。

司祭 マルコ 箭野 眞理
(豊橋昇天教会牧師・豊田聖ペテロ聖パウロ教会管理)