教区センターで行っている「聖書に親しむ会」は、渋澤一郎主教さまと田中誠司祭、わたしの3人が毎月順番で担当しています。わたしの担当の回では、創世記を読んでいますが、その中で感じることの一つが、旧約聖書編纂の一つの視点が王権批判であり、一極に権力が集中することが、いかに危ういものかが述べられていることです。
2016年になって、安倍晋三首相と自民党は、おしなべて憲法改正への意欲をより明らかにしています。その議論の中で特に目を留めなければならないのが、緊急事態条項であるように思います。
国家緊急権は、自民党が2011年の東日本大震災以降、その導入に力を入れてきているものです。2012年に自民党が発表した憲法改正草案、第98条(緊急事態の宣言)、第99条(緊急事態の宣言の効果)には、内閣総理大臣は、外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律が定める緊急事態に際して、閣議決定を経て「緊急事態」を宣言できること。宣言は事前・事後の国会承認が必要で、不承認なら、首相が緊急事態宣言を解除しなければならないこと。そして、この緊急事態宣言が出た場合、内閣が政令を制定できるようになるほか、内閣総理大臣の判断で財政支出・処分、自治体の長に指示ができること。また、すべての人は、国・公的機関の指示に従わなければならなくなること。ただし、憲法の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならないという内容が規定されています。
問題なのは緊急事態の定義が法律に委ねられているため、緊急事態宣言の発動要件が極めて曖昧なことです。その上、緊急事態宣言の国会承認は事後でも良く、歯止めはかなり緩いのです。ですから、内閣が必要だと考えれば、恣意的に緊急事態宣言を出せてしまいますので、この条文がとても危険なことは誰の目にも明らかです。
この国家緊急権の導入のために憲法改正が必要なのですが、東日本大震災後の対応が不十分であったこと、あるいは国会議員の任期満了時に災害が生じた場合、立法府が機能しないなど、おもに自然災害への対応をその理由としていることも問題です。
自然災害がいつ起こるかを予測することは困難ですが、災害が起きた時に何をしなければならないのかは想定できます。そして災害時に何をどのような手続きで、誰が進めて行くのかを予測し事前に定めることは、安全対策として重要です。しかし、そのために必要な、様々な決まりを定めるのは、憲法ではなく、個別の法律の役割であることは言うまでもありません。ですから、海外諸国でも、大きな災害や戦争などの緊急事態には、事前に準備された法令に基づき対応するのが一般的なのです。
多くの人が指摘するように、国家緊急権の創設の本当の目的は、自然災害への対応ではなく、戦争をするために内閣の独裁を実現するものだというのは、的を射ており、立憲主義を破壊し、基本的人権の憲法上の保障をも危うくするものです。
旧約聖書が批判する、権力の一極集中の危うさを心に留めながら、わたしたち教会がどう対応して行くのかを考え平和のために行動を起こして行きたいと思います。
司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マルコ教会牧師、愛知聖ルカ教会牧師)