言は肉となって わたしたちの間に宿られた。ヨハネによる福音書1章14

何年ぶりかで青年時代からの友人に会いました。私よりも少し年上のこの方は、まだ二人のお子さんが幼い頃、ご主人と突然の死別をした人です。それから彼女は夫が起ちあげた司法書士事務所を引き継ぎ、子どもを育て、夫の母親と共に家庭生活を営んできました。彼女の穏やかな笑顔を見ながら、この人はこれまで喜びと共に、どれほどの悲しみや苦しみを味わってきたのだろうとぼんやり思いました。

自己責任という残酷な言葉が飛び交い、富の不平等や不当な抑圧がより深刻化していく社会に生きている私たちに、今年もクリスマスがやってきます。神の子イエス・キリストの御降誕はすべての人々への大きな福音です。深い悲しみを抱える人々にクリスマスの光を届けることができるのは誰でしょうか。そこには大いなる逆説が潜んでいます。慰めようとして反対に相手から慰められる。助けようとして逆に助けられる。そんな経験があなたにはありませんか。

目先の損得に執着したり、自分の栄光を求めたりするような生き方から決別し、より大きな喜びに生きるよう、イエスさまは招いてくださっています。イエスさまご自身が現してくださった神の本質である愛の姿、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」かれたイエスさまの生き方に少しでも倣おうとすることをとおして、クリスマスの光が私たちの中にも差し込んでくるのではないでしょうか。

クリスマス、それは喜び、希望、感謝の出来事です。暗闇に生きる人たちのところへ神が人間となって来てくださった。ご自身が貧しい者となられ、愛と喜びの人生を生き、その究極である十字架上の死を遂げられた。この御子イエス・キリストを神は復活させ天にあるご自分の右の座につけられました。この方を私たちは我が主として信頼し、時にふらつきながらもついていきたいと願うのです。

司祭 イサク 伊藤幸雄(直江津聖上智教会・高田降臨教会牧師、飯山復活教会管理牧師)