犬と平和

 3年前、娘の中学入学を機に、我が家に1匹の犬が加わりました。
 近所のペットショップで、ある犬が「特売」になっていました。あとで分かったことですが、本当に子犬だった時期に病気をして売り場に出ることができず、いわば「売り時」を逃してしまったために、同じ犬種の犬の半額以下の値段がつけられていました。そんな人間の勝手な事情など思いもしない、けなげな姿に感情移入してしまい、この犬を我が家に迎えて、新しく家族の一員となりました。
 我が家の犬はペット犬で、いわゆる「生産性」はゼロです。朝夕の散歩に連れて行くなどの手間もかかりますし、犬を置いて旅行に行けないなどの不便もあります。でも、帰宅したら尻尾を振って迎えてくれたり、居間の椅子に座っていたら膝に飛び乗ってきたり、在宅勤務のデスクの隣で気持ちよさそうに寝ていたり。そんな姿が幸せを与えてくれます。
 6月23日の沖縄慰霊の日、追悼式の会場となった平和祈念公園には朝から多くのテレビカメラが入っていましたが、ニュースを伝えるレポーターの背後で、犬を散歩させている人々の姿が印象的でした。多くの人々が犠牲となったまさにその場所を、犬がのんびりと歩いている景色を見て、これこそが平和の姿なのではないかと思いました。イエス様の「空の鳥を見なさい」という言葉が、犬を家族として迎えて以来、「平和を守りなさい」という命令に聞こえてならないのです。
 第二次世界大戦中には、ペットである犬も供出の対象となりました。食糧不足で、軍用犬以外の役に立たない犬は処分してしまえという主張があったほか、毛皮を軍で利用するという目的もあったようです。また、空襲で焼け出された飼い犬が野良化し、狂犬病が流行することを恐れて、当局が犬を強制的に供出させて殺していきました。家族同然だった犬たちとの別れを強いられた人々、特に子どもたちの悲しみを思うと、こんなことを二度とさせてはならないと思うのです。
 戦争の中では、最も弱い、戦争の役に立たないものが、不要であると切り捨てられていきます。多くの犬たちはその犠牲となりました。そして、犬たちに留まらず、かけがえのない多くの人々の命が失われました。出かけていった家族が戦火に倒れ、帰ってこなかったという大きな悲しみを抱く人が、決して現れてはならないと強く思います。
 ウクライナでの戦争は、現代でもこんな悲しみが未だ続いていることを、私たちに突きつけています。我が家の犬の平和な姿を見るにつけ、空の鳥の小さい命をも大切にされたイエス様の思いに今こそ心を合わせ、この平和から遠いところにいる人々のことを決して忘れないように、そんな決意を新たにさせられるのです。
※アジア歴史資料センター「戦争にペットまで動員されたってホント?」
https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa24.html より

司祭 ダビデ 市原信太郎
(松本聖十字教会管理牧師〈東京教区出向〉)