「日本聖公会はなぜ11教区なのですか?」洗礼、堅信準備の学びの中などで、よくある質問です。現在、日本聖公会には11の教区がありますが、11教区になったのは1972年にそれまでアメリカ聖公会に属していた沖縄(伝道教区)が日本聖公会に沖縄教区として編入されてからのことになります。日本聖公会のコンパスローズをモチーフとしたエンブレム(左図参照)の中央部にある+が11個なのは、その数を示しています。
それ以前の教区(地方部)構成については、1887年の日本聖公会組織成立時にまで遡り、当初は4地方部(東京、大阪、熊本、函館)でした。その後、1896年に6地方部(東京南部、東京北部、大阪、京都、熊本、函館)となり、1900年代に入り、沖縄教区を除く現在の10教区の礎が築かれましたが、1923年に東京教区と大阪教区が初めて正式な教区とされた以外は、戦時下の国策であった「宗教団体法」などの影響を大きく受けながら、苦悩の中で教区成立に至りました。
一方19世紀後半に開始された聖公会の日本伝道の内実は、アメリカ、イギリス、カナダの主に各宣教団体から派遣された宣教師たちによって担われましたが、教区区域については、元々それぞれの宣教団体の伝道区域として分割されたものであり、日本聖公会として全体的視野に立って定められたものではありませんでした。1967年に著されたC.H.パウルス司祭の言葉がそのことをよく表しています。「日本聖公会の現在の教区制度は永久的なものとは決して考えられていなかったということは、あまり知られていない事実である。それは暫定的に決められたものであって、種々の宣教師団がそれぞれ得手勝手な活動をしないように計画されたものであった。」(『日本聖公会の教区制度に関する歴史的一考察』より)-続く-