わたしが初めて携帯電話に接したのは岐阜の教会時代でした(1989年頃)。教会委員のお一人が大きな携帯電話を肩にかけて持っていたように記憶しています。立派なものでしたが、感度はそれほど良くはなかったように思います。
携帯電話は日進月歩でどんどんと改良され便利になっています。ちなみにわたしも携帯電話を持っていますが、いわゆる「スマホ」ではなく、少し古い「ガラケー」と呼ばれる携帯電話です。携帯電話は確かに便利で、いつでもどこででも電話がかけられますが、かかってくる時には当然こちらの都合に関係なくかかってきますので、しばしばどきっとさせられることもあります。会議中に携帯が鳴ると即座に「もしもし」と出られる方もおられますが、わたしはそういうことにどうも抵抗感があります。やはり今ここでしている会議に集中したいと思うからです。会議が一区切りしてからかけ直すようにしています。(最近、それも忘れるのですが。)
また、一対一で会話をしている途中に相手の携帯が鳴り、目の前で「もしもし」と出られてしまうと、今あなたとわたしが話しているこの状況は一体何なのかと思わずにはいられません。そう感じるわたしが古い人間なのかもしれませんが。
わたしは携帯電話を常時携帯していないこともあります。もちろんトイレには持って入りません。出かける時でも時々携帯するのを忘れてしまうこともあります。そういう時に限って電話があるものです。妻からはわたしの携帯は携帯の用をなしていないと思われているようですが、確かにそうだなと思います。しかし、自分の生活が携帯中心になってしまったらと思うと恐ろしくなるのです。わたしの携帯に電話をくださる皆様、わたしがすぐに出ないことがあってもどうぞお許しください。