『11月』

信州は今、晩秋を迎えております。例年になく暑さが厳しかった今年の夏。しかし、木々の葉は活発に光合成を行い、まもなく到来する冬に備えるため養分を蓄え、昼と夜の寒暖の差が大きく開くこの時期、山々は美しい紅葉に変わります。

11月は、教会暦、最後の月です。11月1日の「諸聖徒日」で始まり、11月28日は、降臨節第1主日、そして、11月30日の使徒聖アンデレ日と続きます。

11月1日は「万聖節」、凡ての、もろもろの聖である人たちの魂を記念するという意味で、「諸聖徒日」と言い、亡くなった凡てのキリスト者の魂を記念し、その方々のために神様に祈る日であり、翌日、11月2日は、「諸魂日」と言い、世を去った凡ての人々の魂を記念し、神様に祈る日です。

教会では、毎日曜日の礼拝の中で、亡くなった人々の魂のために神様に祈っておりますが、11月は、「諸聖徒月」とも言い、一生懸命に生き、亡くなった人々のことを想い、その魂を安らかに休ませて下さるように神様に祈ります。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。」(テモテへの手紙二・4章7~8節)

11月1日に、この日を記念するようになったのは、ローマ教皇グレゴリー3世(731~741)の時代、ヴァチカン大聖堂の中に諸聖人崇敬のための礼拝堂を奉献し、礼拝したことに始まります。

人の死後について、確かなことはわかりません。或る人は、何もかも無くなってしまうと考えており、他の人は、肉体は無くなるが、魂は生きていると考えています。

大昔から、多くの人々の願い、期待、希望として、死後も人の魂は生きていると信じられてきました。もし、人の死後が何もない、虚無であるとすれば、今、私達は希望も何もない虚無に向かって必死に生きていることになり、人生は空しいものになってしまいます。

聖書は、この世の務めを終わった人の魂は眠り休んでいるが、やがて最後の時、命の源である神様の許に行くのであると教えています。

ですから、今、生きている私達は、世を去った人々のために、この方の魂を受け容れて下さるようにと祈ると共に、私達が生きている間、神様に喜ばれるような充実した人生を送れるようにと、導きと守りを祈りつつ、希望を持って生き続けることができるのです。

世を去った多くの方々の魂のために祈りましょう。

司祭 テモテ 島田 公博