『軽井沢ミッション』

本当に多くの方々から質問されました。「軽井沢?それもホテルへ何しに行くの?」今年の春のことです。おそらく現在も、私がホテルにチャプレンとして派遣されたことを不思議に感じておられる方も多いのではないでしょうか。それは、今まで司祭が学校や病院に遣わされることはあっても、一企業にということはなかったからです。アパートに住み、毎朝ホテルに出勤するという慣れない生活に、当初は戸惑うこともありましたが、半年を経て率直に思うことは「実に貴重な経験をさせてもらっている」ということです。字数に限りがあるため、この辺りのことはぜひ別の形で報告させて頂ければと願っています。
とにかく、まず何よりもお伝えしたいことは、軽井沢という地は《聖公会》という言葉が浸透している全国でも稀有な(聖公会から言えば貴重な)町であるということです。今年はちょうど町制が施行されて80周年を迎えましたが、発刊された記念誌を開くと、すぐに「ショー記念礼拝堂」のカラー写真が大々的に掲載されています。《聖公会》という言葉も幾度も登場しています。8月に開催された「ショー祭」では、村岡司祭のご配慮により町長に挨拶する機会が与えられましたが、そのとき町長から言われた言葉が「聖公会の先生が軽井沢においで下さり、本当に嬉しく思っています」でした。更に驚いたことは、頂戴した町長の名刺の背景にショー記念礼拝堂の写真が印刷されていたことです。このことは私にとって、軽井沢における新たな宣教の可能性を直感させられた出来事でした。また長野新幹線が開通してからは、定住する人口も毎年増加傾向にあります。そのような中、最近つくづく思うことは、聖公会にとってこれ程恵まれた条件が与えられているにもかかわらず、もし軽井沢における宣教を積極的に考えないのであれば、それは教会の怠慢に他ならないということです。
近年、教会の危機的状況が叫ばれています。私たちは数字を見るたびに意気消沈し、自信喪失の状態に陥ってはいないでしょうか。正直私もそうでした。しかし、軽井沢での新たな経験と気づきを通して、「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」というパウロの言葉が今までにない力強い響きをもって迫ってくるのです。勿論教会における礼拝と交わり、そして牧会は何よりも大切にされなければなりません。しかし、そのことだけに私たちの注意と関心が向けられるのであれば、今の厳しい教会の状況を打開、改善していくことは困難であるように思います。
軽井沢に来て改めて感じることは、教会の働きは社会の至るところに広がっているということです。そして《軽井沢の父》と称えられるショー師をはじめ、かつての宣教師たちの伝道に対する熱意と、確固とした信仰、そして常に社会に目を向けている開かれた姿勢から私たちはもっと真摯に学ぶ必要を感じるのです。私は現在、ホテルスタッフの一員として年間400組を超える結婚式の責任を持っていますが、この軽井沢の地においてイエス・キリストの働きを担う者(クリスチャン)として、今後も宣教の可能性を祈りの内に模索していきたいと思っています。
司祭 テモテ 土井 宏純
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森チャプレン)