夏休みに子どもを誘って釣りに行こうと思ったが、あいにく台風が来てしまい行けずに終わった。「逃がした魚は大きい」と言うように次なる期待ばかりが大きくなる。
その題名も「ビック・フィッシュ」と言う映画がある。いつもホラばかり話している父親を嫌っている息子は、親子関係が疎遠になっている。しかし父親の死に接した時、父親がいつも語っていたホラ話の中に出てくる人々は、出会ったいろいろな人間模様、人生の姿であったことを知るのである。その喜びや悲しみを、布に織り上げるように自分の中でつむいで、父親なりの人生の真理を物語として語っていたのである。
8月上旬チャレンジキャンプ14をおこなった。今回は「ものがたり」がテーマである。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」(使18・9b~10a)をテーマの聖句とした。世界の様々な物語には多くの知恵や人間の豊かさが満ちている。物語ることの中に、人を癒したり和解させる力があって、私たちはそんな物語を語ることのできる一人一人であることを子どもたちと学んだ。神様が語り、私たちは聞く。使徒言行録では主イエスの弟子たちが聖霊に満たされ、主イエスの言葉や出来事を物語っていった。彼ら自身語りだすことによって立ち上がり、歩き始めるのである。彼らと彼らの話を聞く人々の思いや願い、そこには主イエスによって新しく生かされる人々の物語がある。私たちも深い悲しみや絶え間ない心の痛みがありつつも神に生かされ、うながされて神の福音を語るのである。
この9月、中部教区宣教130周年記念礼拝がおこなわれる。中部教区に、み言葉の種はまかれ、私たちはその実を頂いている。聖書をとおして神は私たちに救いのメッセージを語りかけている。そのメッセージは聖書の最後のページで終わったのではなく、私たちもまた救いの物語を語っていく一人とするのである。神によって救われ、養われる者は、み言葉の種をまいていくのである。主イエスの救いを私たちの物語として。
司祭 マタイ 箭野 直路
(新生病院チャプレン)