『母の死を通して』

1月27日、母は神様のもとへ召されました。その1ヵ月後、思いを岐阜聖パウロ教会の教会だよりに寄せてみませんかと伊藤司祭よりお誘いがあり、書かせていただきました。

母は自分の父を浜松にあるホスピスで看取ったのを機に、10年前に「ぎふホスピス運動をすすめる会」を立ち上げました。祖父はがん告知後に自らホスピスを選び、種々の苦痛を緩和してもらい、穏やかな最期を迎えた人でした。母はその体験から、岐阜の地でもすべての病院・在宅でホスピスケアを、生と死を見つめる大切さをと願いました。そして市民の立場からその普及を進めようと、学習会やホスピス設立を求める署名活動などを行いました。6年前には乳がんが発症し、同じ患者の立場にある方と思いを分かち合ったり、治療法について積極的に勉強するなど、ますます思いを強くして活動していました。最後の一ヶ月は肺転移による呼吸の苦しさを伴いながらも、ホスピスで明るく楽しく過ごしました。自分から周囲に別れと再会を誓う挨拶をし、遺される者が死を迎える気持ちの準備までしてくれました。最後にもらったクリスマスカードにも「この先一緒に過ごせる時間は長くはないかもしれないけど、できるだけ明るく楽しくやっていこうね」「どこにいても祈っていますよ」とあり、私の支えとなっています。そして苦しみから解放されるように神さまに抱かれて旅立っていきました。

そんな母の死、また3年前に肺がんで急逝した父の死を通して感じたことを書いてみたつもりです。まだまだ混乱した思いのままでの文章ですが、神様からのメッセージに目を向ける良い機会ともなりましたことを感謝しております。

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住み慣れた家でもあったこの岐阜聖パウロ教会。神様の愛で満たされたこの場所から母が皆様に見送られて1ヶ月が経ちます。母が旅立つ準備を始めてから通夜の祈り、そして葬送式を終えて母の遺骨と共に帰宅するまでの時間は、夢のような素敵な時でした。
愛する人との別れは辛く重いもの。母の死を思う時、もちろん苦痛を伴わずにはいられません。しかし同時に温かい気持ち、神様への感謝と賛美の気持ちを持つことができる。それが母の死を通して感じた、不思議でもあり当然でもあるような感覚です。寂しくて悲しくてたまらないのに笑顔が溢れてしまう、本当に夢のような心地よい感覚です。
与えられた時間を最後の一瞬まで大切に使いきろうとした母。命に限りがあることを受け入れていた母は命の素晴らしさを実感し、自然と感謝の念を持っていたのではないかと思います。辛さと喜びが同時に母から溢れていた最期でした。私も限りがあるからこそ命は輝くのだと実感させられました。神様が与えられた母の素晴らしい人生に心から感謝しました。母の最期から葬儀を終えるまでが素敵だと感じたのは、母を愛して下さった皆様と共に命の素晴らしさを感じて神様への感謝と賛美を捧げつつ、母とのこの世での別れが十分にできたからだと思います。
しかしこれは父が亡くなった時には無かったものです。3年前、私は父の遺体にすがって泣き続けていました。葬儀中も、父の最期を思って泣いていました。入院中に呼吸が苦しくなり意識を失った父は、最後の数時間を人工呼吸器によって動かされていました。東京から駆けつけた私はそこに命を感じることができず、物として動かされている父を見ました。寂しさよりも悔しさを感じた、大好きな父との別れでした。
母の時とは全く異なる経験でした。何が違うのか、冷静に整理する事はまだできません。ただ1つ感じるのは、与えられた命を「限りある時間」として受け入れるか否かの違いの大きさです。父は、神様の与えられた時間に逆らう事がいかに不自然であり皆に苦痛をもたらすかを教えてくれました。母と同じく人生を懸命に生きた父が苦しみをもって教えてくれました。これは医療者への要望だけでなく、自分への戒めともなりました。
今、父も母も自らの死を通して同じ教えを残してくれたと思うことができます。
母が親友に伝えた一言。「医者も患者も関係ないの。あるのは感謝だけ。」私はこれを「神様の前で人が傲慢になってはいけない。感謝を持って日々を過ごしなさい。」というメッセージでもあると思っています。神様に感謝すること。人とのつながりにも感謝すること。病気であろうとなかろうと、人にはこの世での時間に限りがあると受け入れること。実際にはいつになっても難しい課題ですが、心に留めて努めようと思います。
テレサ 神山佳奈絵
(岐阜聖パウロ教会信徒・臨床心理士)