『新春に思う』

新しき年をお与えくださった神様に、 心から感謝するとともに、 皆様に新年のご挨拶を申し上げます。
しかし早いもので、 ついこの間世紀を迎えたばかりだというのに、 もう3年目を迎えたわけです。
思うに世紀の後半から世界のあらゆるもの、 すべての速度が速くなってきたように感じます。 歴史に加速度がついてきたのでしょうか。
そのため社会の動きも個人の動きも、 地球規模の同時代性をもつようになってきたといってもいいでしょうか。
毎日のテレビで、 刻々と世界中の出来事が伝えられるのを見ると、 私たちもいつの間にか世界的規模の観点で見るようになってきました。
航空技術や、 テレコミュニケーションによる通信の瞬時化によって、 私たちはときどき地理的距離という考えを忘れてしまうほどです。
こうした時代の大きな変化に教会はどう対応していけばいいのか。 そして、 私たちの信仰生活はどうあるべきなのかが、 今問われているように思われます。
教会は何となく平穏で安心感のある所、 神様に守られている方船、 その方船の中に安住する私たちというイメージがあります。
しかし現実はそんなに甘くはないのです。 教会もまた社会の大きな変化の中で危機的状況が見え隠れしているのを感じます。
「イエスは言われた。 『正しい答えだ。 それを実行しなさい。 そうすれば命が得られる』 しかし、 彼は自分を正当化しようとして、 『では、 わたしの隣人とはだれですか』」 (ルカ10・28―29)
今私たち聖職・信徒一人一人が、 イエス様から 「実行しなさい」 と言われたら、 同じように 「では、 わたしの隣人とはだれですか」 と問いかけるかも知れません。
新潟では昨年から 「拉致」 事件が大きな社会問題となっています。 国際的事件であるためにマスコミでも大きく取り上げられ、 各行政を中心に被害者への支援の輪が広がっています。 私たちも両国間での早期解決を強く望んでいます。 しかしこのように国際問題として取り上げられ、 政治的に社会的に支援されるのは特殊な事件だからです。
こと国内でしかも身近な所で、 日常頻繁に起きている 「犯罪被害者」 に対しては、 国も社会も、 支援が遅れているのが現状です。
私も数年前から被害者支援に携わっていますが、 今や教会内においても被害に苦しむ信徒や家族が少なくありません。 したがって教会もこれら被害者の支援活動を積極的に行う必要があります。 その被害者の支援には経済的、 法律的支援とともに大事な精神的支援があり、 しかも被害者が自立するまで、 専門家を中心に大勢の協力者が必要です。
今年も更に変化の激しいそして加速の度を増す社会になることでしょう。 その中で危険と隣り合わせで生きている私たちは、 日常生活の中で起きる様々な精神的身体的な悩みや苦しみを、 教会という共同体の中でこそ解決していけるように努力していきたいものです。 一人が苦しめばともに苦しむ共同体として、 私たち一人一人がもっと深く、 確かな交わりを築いていくならば、 危機的状況は必ず克服することが出来る。 ただ、 「実行しなさい」 と言われた主のみことばが心に響く新春です。
司祭 ヨシュア 鈴木 光信
(新潟聖パウロ教会牧師)