「こういうわけで、 わたしたちもまた、 このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、 すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、 自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」 (ヘブ12・1~2)
主イエス命名の日を迎え、 新しい1年が始まりました。 お正月恒例の行事はいくつかありますが、 はずせないのが箱根駅伝ではないでしょうか。 今年は初めて聖公会関連学校の立教が関東学連選抜のメンバーの一人に加えられ、 見事学連選抜が4位に入ったということです。 興味を引くのはそれだけでなく3チームの途中棄権が出たということで、 大会史上初めてのことでした。 誰もが予期せぬ出来事で、 まさかそんなことが自分の身に起こるとは思ってもみなかったことでしょう。 あるチームはレースの最初のほうで、 あるチームはレースの後半で、 あるチームはあと一人にタスキを渡す所でした。 立ち上がることも出来ない状態になってしまい、 どんなに屈辱を感じたことでしょう。 これでもう選手生活は終わりだと感じたほどではないかと思います。 でも倒れて終わりにはなりませんでした。 監督の 「もう充分力を尽くしたから後は任せろ」 との言葉でまた新たな思いに立ち上がることが出来るようになっていくのでしょう。
先日、 信仰の先輩が逝去されました。 6年半にわたる長い闘病生活の後でした。 脳梗塞で倒れられたとき、 教会にも行けない、 祈りや賛美を唱えることも出来なくなってしまい、 もうこれで信仰生活も終わりだとお感じになってしまっていたのではないかと思います。 でも、 神様は決して証人としての信仰生活を終わりにはなさいませんでした。 信徒の方とご家族の家に病床聖餐で行くと、 お祈りや聖歌のところでわずかですがうめき声を出され、 ご一緒に唱和されているようでした。 そして車椅子で陪餐に与り、 わたし達が帰るときに涙を浮かべておられるのを見たとき、 ああこうして一緒に陪餐に与り神様の恵みを頂くことの喜びと、 そして信仰の友との交わりを大切にされている涙であることを実感しました。 私たちこそあらためて主日ごとに、 陪餐の恵みに与る喜びを大切にし、 信仰の交わりが与えられていることを大切に、 多くの信仰の諸先輩の証人たちに囲まれつつ励まされている自分がここに居ることに気が付きましょう。 ここに教会の原点があるように思いました。 そしてチームの監督が 「後は任せろ」 と言われたように、 出来ないことの悔しさなどすべてのことを主イエス様にお任せし、 信仰生活のゴールで待っていてくださる主イエス様にひたすら目を向けてこの1年の信仰の歩みの上に神様の祝福と導きを祈りましょう。
司祭 マルコ 箭野 眞理
(豊橋昇天教会 牧師)