『イエスの言葉を思い出す』

主イエス・キリストのご復活をお喜び申し上げます。

冒頭に、 改めて聖パウロの言葉を想い起こし、 主のご復活の大切さを認識いたしたいと思います。 「キリストが復活しなかったのなら、 わたしたちの宣教は無駄であるし、 あなた方の信仰も無駄です。」 (一コリ15・14)

イエス様のご復活についての福音書の記事に共通していることは、 イエス様の墓に最初に行ったのは女性 (たち) であったということです。 イエス様の十字架の死によって使徒たちは失意と恐怖のどん底につき落とされてしまいました。 そして、 ただただ自分たちも捕まることを恐れてじっと身を潜めているだけでした。 それに対して、 イエス様に従っていた女性たちは週の初めの日の早朝、 イエス様のご遺体を清めようと墓に出かけて行きました。 その勇気ある行動力には驚かされます。 主イエスの復活の出来事はその女性たちの行為から始まっていくのです。 女性たちの行為は、 わたしたちがイエス様のご復活を理解するためにはわたしたちも自ら墓に出向くことの必要性を暗示しているようにも思えます。

今年の復活日の福音書日課はルカ福音書から取られていますが、 ルカの復活物語の特徴の一つはイエス様のお言葉、 聖書のみ言葉にあると言っていいでしょう。 墓に行った女性たちはイエス様のご遺体の代わりに天使たちに遭遇します。 恐れてひれ伏している彼女たちに天使たちは、 「あの方は、 ここにはおられない。 復活なさったのだ。 まだガリラヤにおられたころ、 お話しになったことを思い出しなさい。」 と言います。 つまり、 イエス様が苦しみを受けられ、 十字架につけられ、 3日目に復活すると言っていたことを思い出しなさいと言うのです。 「そこで、 婦人たちはイエスの言葉を思い出した。」 とルカは記します。

この 「イエスの言葉を思い出した」 という表現の中にイエス様のご復活を理解する鍵があるように思えるのです。 イエス様の十字架によって、 イエス様のお言葉も行いもすべて無意味になってしまったと彼女たちは思ったことでしょう。 しかし、 天使たちの促しによって再び彼女たちの思いがイエス様のみ言葉に向けられます。 そして、 「3日目に復活することになっている」と言われたイエス様のみ言葉が彼女たちの心の中によみがえってきました。 その時、 主イエスのご復活が彼女たちの中に現実性を持ち始めたのです。 「思い出す」ということはただ単に思い出すということではなく、 イエス様のお言葉が彼女たちの心の中に生命を持った存在となって描き出されてきたということです。

そして、 イエス様のみ言葉が存在するところにはイエス様ご自身が存在するのです。 イエス様との出会いはみ言葉を通して実現するのです。 弟子たちがイエス様のご復活を信じることができたのも復活されたイエス様が彼らの傍らで聖書の説明をしてくれたことがきっかけになっています。 イエス様 (聖書) のみ言葉を思い出すこと、 心に根付かせること、 それこそがご復活の主イエスにお会いする最も確かな道であることをルカ福音書はわたしたちに証しているのです。 「実に、 信仰は…キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」 (ロマ10・17)

主教 ペテロ 渋澤 一郎