『イエスさまの祈り』

「わたしはあなたのために、 信仰が無くならないように祈った。」 (ルカ22・32)
福音書を見ますとイエス様は非常にしばしば祈っておられることがわかります。 洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時も祈っておられました。 大勢の群衆が押し寄せてきた時にも、 イエス様は人里離れたところに退いて祈っておられました。 十二使徒を選ばれる時にも夜を徹して祈られました。 5つのパンと2匹の魚で5000人以上もの人々を満腹させられた時も神様に賛美の祈りを唱えてからそうされました。
ご自分の受難予告を最初にされる直前にもイエス様は一人で祈っておられました。
イエス様のお姿が変わったのは祈るために山に登った時でした。 主の祈りを弟子たちに教える前にもイエス様は祈っておられました。 また、 気を落とさず絶えず祈ることも教えておられます。
そして、 最後の晩餐の時には感謝の祈りを唱えてからパンとぶどう酒を弟子たちに与えられました。 そして、 いよいよご自分が逮捕される直前には汗が地に滴り落ちるほど祈られました。
このように見てきますとイエス様のご生涯は祈りによって導かれていることがよく分かります。 神様のご意志を生きるためには祈ることによって絶えず神様との交わりを保ち続けることが不可欠だったのです。
そのような祈りの中にあって冒頭に挙げたみ言葉はイエス様がペトロのために祈ったという内容のみ言葉です。 イエス様が特定の誰かのために祈ったというのはこの箇所だけではないでしょうか。 時間的には最後の晩餐とイエス様の逮捕の間であり、 ペトロがイエス様を否認する前のことです。 ペトロという人物は福音書においては人間としての弱さや欠点、 過ちが何の覆いもなく表されている存在として描かれています。 実際そういう人物でもあったのでしょう。 あるいは弟子たちの代表という意味でそのように描かれているのかもしれません。
いずれにしても、 イエス様は、 強がりは言っているが、 間もなくイエス様を知らないと言って逃げ出してしまうペトロのために、 彼の信仰が無くならないように祈られたと言われるのです。 ご自分が間もなく捕らえられ十字架に付けられようという緊迫した状況の中で、 このどうしようもないが、 しかし愛すべき弟子のために祈ったと言われる時、 そこにペトロも含めた弟子たちへのイエス様の限りない愛を見る思いがします。
イエス様のご復活の後、 ペトロを中心とした弟子たちが大胆にイエス様を宣べ伝えて行くことが出来たのも、 このイエス様の愛と祈りに支えられたからに他なりません。
イエス様はわたしたちの信仰が無くならないように祈っていてくださいます。 イエス様の祈りがあるからわたしたちは信仰生活が続けられることを覚えましょう。 イエス様の祈りがペトロが逃げ出さないようにという祈りではなかったことに注意しましょう。 イエス様は 「逃げ出す」 という人間の弱さを良くご存知です。 それでも信仰が無くならないようにと祈ってくださるのがイエス様の祈りであり愛なのです。 その祈りにわたしたちは生かされているのです。
司祭 ペテロ 渋澤 一郎
(名古屋聖マルコ教会牧師)