5月の子どもの日。はいはいしていた子どもがつかまり立ちをする。一生懸命歌をうたう。子どもがすくすくと育つのを見るのはいかにもうれしい光景です。また、自然の全てが生き生きと成長していく姿が見える野山の景色も美しく心洗われます。花が咲き、青々とした若葉が咲き競う木々。自然界が与えてくれる壮大な広がりは、青く澄んだ大空を含めて、私たちにゆったりとした豊かな気持ちと癒しの感覚を与えてくれます。そこでは様々な思いを抱き、様々な想像をめぐらすことができ、「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す」(詩19)という聖書の言葉がしみじみと感じられます。一年の中で一番美しい季節が5月のこの時かもしれません。
しかし一方で自然は時に思いがけない災害を人にもたらします。今回の震災だけでなく、この冬の雪国の豪雪。思いがけない豪雨による水害など様々です。そして、そうした災害の後に「ノアの洪水」の後のように空いっぱいにかかった虹を見て救いを感じたり、再び廻って来た春を花々の開花に感じて生きる力をもらったり、そうした全てを含めて神様の恵みだと思います。
ところが、今回の震災で、そうしたこととは異質で、考えなければいけないと思われることはやはり原子力発電所の事故でしょう。先頃東京で行われた全国の代表者による原子力発電所の再開に関する会議で、多くの県の代表者が経済効率や電力不足を考えての発言をすることに違和感を覚えた福島の代表の方は早々に退席したそうです。その理由は、原発事故による避難の後、汚染地域に入った時に多くの牧畜農家の小屋にたくさんの家畜が死んだままになっていたり、放置された家畜やペットが野生化した姿を見た時、この世のものとは思われなかったという経験をして、「これはあってはならないことだ」と思ったからだということが新聞に書いてありました。人は神から離れて,その能力を伸ばし、社会的発展を遂げてきました。しかし、その一方でしてはならないことをしているかもしれません。私たちには、そうした全てのことを見通していく目が必要です。
「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。」
わたしの言葉というのは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34)というものです。互いに愛し合うということは、身近な人々とのかかわりということは、もちろんのこと、今日の社会では、一人の人の日常生活が様々な面で広い範囲の人々と結びついていて多くの人が隣人になっています。そうなると社会全体の中で、便利で快適な生活を維持するために、別な所で悲惨な虐げられた生活をする人が出てきたり、住めない地域が出てきたりしても良いわけではありません。むしろ一時的には不便な生活を強いられることがあっても、すべての人が共に安心して暮らせる生活をすべきではないでしょうか。実際に社会全体が望ましい方向に進んでいけるようにするのは簡単ではありません。しかし、諦めてしまったら元も子もありません。
これからの社会をどのように作っていくのか、これからの社会はどうなっていくのか世界全体が問われていると思います。人間だけでなくすべての被造物が共に安心して暮らせる世界を実現していくことは人間の責任です。なぜならば、現在の状況を作りだしたのは人間であり、それを変えていくことができるのも人間だからです。
私たちには、目の前の穏やかな光景の向こうにある見えない所に広がっている大きな世界をも見通していく想像力の目が必要です。
司祭 ペテロ 田中 誠
(名古屋聖マタイ教会牧師)