今年の冬は、ことのほか寒さが厳しい冬となりました。2月初めには名古屋でも積雪があり、雪深い飯山、上越、長岡では連日の大雪で除雪が追い付かない日々となり、昨年の震災とはまた別な意味で自然の力を思い知らされました。
そんな厳しい冬のさなか2月22日に今年の大斎は始まりました。復活日までの40日間、それぞれの思いを持って過ごされることでしょう。人は誰しも周囲の環境を抜きにして生きることはできません。厳しい自然環境に、あるいは仕事や家庭、様々な人間関係に向き合って過ごす毎日です。いくら努力しても、頑張ってもなかなか明るい日差しが見えてこない、というのが今日の日本に暮らす多くの人たちの実感なのではないでしょうか。
しかし、そうした中でも私たちは何かしら自らを力づけるものを見つけ出し明日への一歩を踏み出そうとします。それは、時には雪の間にのぞく晴れ間の青空であったり、幼児の元気な姿であったり、食事の時の季節ならではの魚や野菜であったりの、ちょっとしたことです。そして私たち信仰者にとって何より大事なのは、日々の中の祈りの時間です。夜寝る前に一日を振り返り感謝をし、暗い夜の間、主のみ翼の陰に休ませていただき、心身の新たな力の養いとし新たな朝を気持ちよく迎えられることをお願いする。朝起きた時には、新たな一日を主の見守りのうちに過ごし、よき日となることをお願いする。精神的にあるいは肉体的に自分の限界を感じるような日々の内では、自分の力では何ともできないことを祈りによって神様にお任せすることができます。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マコ8・34)この言葉は、必ずしも意識的に自分の特別な十字架を探すことではないと思われます。多くの人にとっては、日々の生活の中における様々な苦難を意味するといえましょう。それは自分とは切り離すことができないものでもあります。しかし、そうした苦難の日々と向き合いながら祈りを支えに過ごすことが「わたしに従う」ということではないでしょうか。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタ11・28)主は、共に重荷を背負ってくださる、主は、耐えられないほどの苦難はお与えにならない、という言葉もあります。震災の被災地において、雪に閉ざされた多くの地において、あるいは逆に都会の中の人間関係の中において、また病気の人と共に過ごす家族において、それぞれの方が、それぞれの日々と向き合っています。そうした一人一人の方を覚えて祈り、また自分のために祈りましょう。
今年は雪国では雪解けの早春にイースターを迎えることになります。春の来ない冬はありません。雪が消えた大地からわずかにのぞく新たな芽、そうした光景に先の希望を置いて大斎節の日々を大切に過ごしていきたいと思います。
司祭 ペテロ 田中 誠
(名古屋聖マタイ教会牧師)