『「日本海」・「東海」』

新潟聖パウロ教会は、中部教区内でも大きな教会の方に属します。幼稚園やその他の施設はありませんが、思いッキリ、宣教・伝道について考えてみる事が出来る、非常に良い条件を持っている教会だと思います。
牧会経験が余りにも少ないシロウト牧師が中部教区の大きな教会に来るようになったことの不思議さを思えば、「きっと神様が私に何かを求めておられるのだ」 と強く思わざるを得ません。私の体型の様に少し鈍い私が、新潟聖パウロ教会に対する神様のみ心を解るまでには長い時間がかかるでしょうが、いつかは気づくようになるだろうという思いです。
一昨年は名古屋聖マルコ教会で、牧師というよりは留学生の感じで過ごし、昨年は主教座聖堂である名古屋聖マタイ教会の副牧師 (働きは少なかったですが)、その1年後の今年は新潟聖パウロ教会の牧師になり、しかも伝道区長にまでなっているのをみると、神様は冒険が非常に好きな方だと思われます。
昨年、名古屋で幼稚園の先生をしていた青年から野菜の種をもらった事があります。数ケ月前、そのうちのカブを司祭館の裏側に蒔きました。最初は失敗してもかまわないという軽い気持で種を蒔きましたが、予想以上に早くそして丈夫に育ってくれて、キムチを作って食べる事も出来ました。畑と言うには恥ずかしいくらいの畑 (車1台駐車出来るだけの空間) ですが、毎日忘れず水をやり雑草をとる等の仕事をしながら、時に期待して時に心配するという心、この農夫の心がまさに神様の心なのだろうなという思いでした。
普段日本で簡単に手に入るのは白菜キムチなので、カブのキムチがどんな味なのか気になる方もおられると思いますが、私には懐かしい故郷の味でした。
韓国が懐かしくてという訳ではありませんが、海が近いので2回ほど海岸に夕日を見に出た事があります。日本では 「日本海」 と呼ばれているこの海を、韓国では 「東海」 と呼んでいます。ただ眺めるだけなら、何事もなかったかの様に平安だけが伝わって来るこの海 「東海」 を見て、この海に流した大勢の人々の涙・汗・血が思い浮かんでくるのはどうしてでしょうか? 「マンギョンボン号」 でも有名な新潟、これからこの場所でどんな事が起こっていくのか、心配半分、期待半分という気持ちです。
まず、一番にしたい事は、たくさんの人々に出会うという事です。また、教会に来られない方々を訪ねる事も、喜びを持って徐々に徐々に進めています。
韓国の東海岸から眺めていた 「東海」 は、日が昇る海でした。希望を持って計画し、そして何かを始める、そういう海でした。一方、新潟から眺めるこの 「日本海」 は日が沈む海です。後ろを振り向いて整理し、そして 「また頑張ろう」 と自分に念をおす、そういう海です。しかし、結局この二つの海は一つであって、この海から日が昇り、またこの海に日が沈んでいく訳です。
絶えることなく日が昇りそして沈む事を繰り返すこの海の様に、私の新潟での生活、そして働きにあって、多くの出会いを絶えず続けていけたら嬉しいなと思います。
司祭 イグナシオ 丁 胤植
(新潟聖パウロ教会牧師)