「野外礼拝で思ったこと」

何年か前、長野の管理牧師の時、長野市中条日高という所で野外礼拝をしたことがありました。中条は旧中条村(それ以前は栄村)といい、教会からは車で3~40分くらいの、犀川に添った山間の地区で、日高にはウォーラー司祭の時代からの信者さんのお宅があります。

礼拝をした場所は、日高から犀川の方に傾斜地を下って行った林の中で、すぐ先はもう川でした。その日の朝にその信者さんが下草を刈ってくださり、そこにビニールシートを敷いて礼拝をしました。礼拝後、昼食を食べながらいろいろな話に花が咲いたのですが、その話の中でふと教区草創期の方々に思いを馳せることがありました。礼拝をした場所のすぐ脇が、わたしたちが下って来た狭い道なのですが、その信者さんによりますと、かつてその道は幹線道路で、長野から松本方面にはこの道を通り、少し先にあった船着き場から船で対岸に渡って行ったのだそうです。礼拝した所から20メートル位先は草が生い茂り、道はそこで行き止まりになっていました。

わたしは、その時、この脇の道をウォーラー先生や曽我捨次郎先生、覚前政吉先生などが伝道のために歩かれたに違いないと思いました。ひょっとしたらその先生方が行き止まりの向こうの茂みから現れるような錯覚に一瞬陥りそうになりました。教区草創期の聖職・信徒の方々は今では考えられない苦労をして伝道し、また、礼拝に出席されたのでした。現在では中条から教会までは車で40分もあれば行けますが、当時は徒歩で一日かかったことでしょう。そのことを思えば、時代が違うとはいえ、わたしが車で名古屋から長野や新潟の教会を巡回することなど実に楽なことだと思ったのでした。