「夏の暑さと原発事故」

かつて、植松従爾主教は、「名古屋の暑さよ主を祝い、世々歌いあがめまつれ」と教区報に書いておられます。しかし、名古屋のような暑さでは「夏の暑さよ主を祝い」と言う前に冷房のスイッチに手が行ってしまうのですが、今年の夏は本当に夏の暑さの中で主をほめたたえなければならなくなりました。福島第一原発事故や原発の安全点検のために多くの原発が止まってしまい、必要な電力供給ができないため節電を強いられているからです。

改めて、わたしたちの生活が原発に依存していたことに気付かされました。それにしても、わたし自身原発に対していかに無知であったのか、”原発は事故があったら恐ろしい”程度の認識しかなかったことを恥じなければなりません。事故から5ヶ月が経とうとしているのにいまだに先が見えません。

残念ながら今回の事故で、一度原発事故が起こったらどうなるのかということが明白になりました。人間の命や生活の、ほとんどすべてにわたって影響が及ぶのです。しかも長期間にわたって。日本には現在54基の原発があります。すべてが海岸沿いにあります。再び大きな地震や津波が来たらどうなるのか。中部電力浜岡原発は津波防止のために高さ18メートルの防波堤を何キロにもわたって作るという計画を立てているそうです。18メートルの防波堤が何キロにもわたっている姿をどう想像したらいいのでしょうか。

わたしたちの生活はこれでいいのか。本当に見直す時が来ているのではないか。快適さを求めるあまり生命や生活を代償にしてしまってはいないか。短絡的に原発廃止とは言いませんが、しかし、基本的にわたしたちの生活は”脱原発”に向かわざるを得ないのではないでしょうか。