「地の塩として」

今回、100周年のためにおいでくださったヒルツ大主教とフィーリー大執事は、共に日本と日本の教会は全くの初めてということで、すべてが初体験であり、驚きの連続だったようです。わたしは幸いなことにかなりの時間をお二人と過ごすことができました。お二人は大変きさくで、時々、自分がカナダ聖公会の”首座主教”と一緒にいるのだということを忘れるくらいでした。皆様に申し訳ないくらい、大変貴重で素晴しい時間でした。

感謝礼拝での説教、また、祝会でのスピーチを通してもそうでしたが、ヒルツ大主教はわたしたちを励まし、力づけてくださいました。わたしは共に時間を過ごさせていただいたことにより、そのような公式のスピーチ以外でも大主教と大執事の日本の教会に対する思いに接することができました。

とにかく、お二人は日本の教会の信仰者の誠実な姿に驚きと感銘を受けておられました。震災被災地訪問で、また、教区内の各教会・施設訪問で多くの人々に出会い、その信仰の姿に心を動かされたのです。建物も素晴しいが、それ以上に人々に出会い、その信仰に触れたことが大きな収穫であったと言っておられました。日本のクリスチャンが少数でありながら一生懸命に信仰している姿をしっかりと受けとめてくださったのです。今回の訪問は自分たちの魂にとって大きな養いになったとまで言っておられました。大変嬉しいことです。

ヒルツ大主教は日本のクリスチャンは「地の塩」であると言っておられました。「地の塩」とは少しこそばゆい思いがしますが、しかし、「地の塩」であることを自覚し、地の塩としての役割を果たしていくことこそが、教会のあるべき姿であることを改めて教えられました。