「ひと月のあいだに」

「ともしび」前号の原稿を書いてからひと月が経ちました。その短い間にわたしたちが想像すらしなかった大惨事が起こりました。東日本大震災です。一万人以上の尊い命が奪われました。未だに二万人近くの方々の生死が不明です(4月4日現在)。多くの方々が悲しみの中に置かれています。こういう出来事をどのように理解すべきなのか。ある人は「天罰」という表現をしましたが、もちろんそうではありません。神様は「その独り子をお与えになったほどに、世を愛」しておられます。「み子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」ことを願っておられます。この世界は神様が創造されたとわたしたちは信じますが、自然の営みはわたしたち人間の想像をはるかに超えているということも知らなければならないでしょう。この世界にはまだまだわたしたちが知り得ないことが沢山あるのです。ですから自然に対する備えもしなければならないのです。
悲しみの中にも復興が始まっています。人間の優しさや思いやりや回復力が復興を支えています。その姿こそ神に似せて造られた人間の姿と言えるでしょう。わたしたちもできるだけの支援をしていきたいと思います。パウロは、「進んで行う気持ちがあれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。」(二コリ8・12)と言っています。わたしたちの持てるもので進んで支援をしていきましょう。
前号の最後に高澤登司祭のためにお祈りくださいとお願いしました。高澤司祭は3月27日逝去されました。わたしの名親でもありました。少しユニークな司祭ではありましたが、いなくなってしまいますと寂しい思いです。魂の平安をお祈りください。