「『狭山事件』から50年」

先日、管区主催の『新任人権研修』があり、管区の人権担当主教としてわたしも参加してきました。この3月に神学校での学びを終え、4月から教会に出て行かれる新任教役者の人権に関する研修です。
今年は「狭山事件」を中心に研修が行われました。2泊3日の研修でしたが、2日目は狭山に行き、事件の犯人とされている石川一雄さんと、お連れ合いの早智子さんのお話をお聞きし、合わせて事件現場を実際に歩いて事件の概要、経過などの研修をしました。
狭山事件は事件発生から来年で50年を迎えます。石川さんは1963年5月に逮捕され、一審では死刑判決、二審で無期懲役刑を受け服役しましたが、1994年に仮出獄し、現在は第三次再審請求を申し立てているところです。わたしも何度か狭山事件の研修会には参加しましたが、研修をすればするほど石川さんが冤罪であることの確信は強くなります。刑事事件や裁判に詳しくない人でも、今までに明らかにされている証拠や証言、事件現場やその周辺における状況を見れば、石川さんを犯人と断定することには全く無理があることが良く分かります。
にもかかわらず、なかなか再審開始には至りません。最近、やっと検察は裁判所の求めに応じて、まだ明らかにされていない証拠を開示し始めました。しかし、肝心な証拠はまだまだ開示されてはいないのです。開示されれば石川さんの無罪が一目瞭然になってしまうからです。『50年も経つのだから』という心情的なことではなく、隠されている証拠がすべて提示された上で客観的な裁判が求められているのです。「すべて刑事事件においては、被告人は公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」(憲法37条)