幼子と乳飲み子は賛美を歌う(詩編第8編2節・祈祷書訳)

 稲荷山くるみこども園の子どもたちのページェント(聖誕劇)を見るたびに、クリスマスの物語の不思議さを思います。こども園の休み時間、子どもたちが左右斜めに両手を挙げて進みながら、聖歌91番「荒野の果て」(この園でグローリアと呼ばれています)を歌っている姿を目にします。これは天使たちが現れるときの動きで、羊飼いたちに主イエス誕生を知らせる天使たちはこの聖歌と共に登場するのです。
 その時、ベツレヘムの荒野にいた羊飼いを突然天からの光が照らしました。恐れて地に伏せる羊飼いたちに、天使は言います。(以下、稲荷山くるみこども園ページェント台本より)「こわがることはありません。すばらしいお知らせがあります。今日、ベツレヘムの馬小屋で救い主がお生まれになりました。その方こそみんなが待っている主イエスキリストです。」そして、天使たちは告げます。「いと高きところでは神に栄光があるように、地の上では御心に
かなう人に平和があるように。」
 闇から光へドラマチックに転換するこの場面は、人知れない家畜小屋での出来事がどれほど大きな喜びであるのかが世界に示されたシーンです。子どもたちがこの場面を好んで歌うのは、小さな彼ら彼女らがその喜びをしっかりと受け止めているからなのかもしれません。そして、この天からの賛美を聞いた羊飼いたちが、「さあ、急いで救い主に会いに行こう!」と跳びあがって出発するのが私のお気に入りの場面です。
 この天使たちの賛美に似た言葉が、福音書にもう一度出てきます。それは約30年後、子ろばに乗って都エルサレムへと向かわれるイエス様を見て、人々は「天には平和。いと高きところに栄光」と声高らかに神を賛美しました。しかしこの賛美の声を聞いたファリサイ人たちは反発します。主はエルサレムに近づき、都が見えたとき、平和への道をわきまえない都のために泣かれました(ルカ19章41―42節)。主を受け入れない祭司長たちは、神殿で主を賛美する子どもたちにも腹を立てました。イエス様は彼らに、「『幼子と乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた』とあるのを、あなたがたはまだ読んだことがないのか。」と言われます(マタイ21章16節)。
 イエス様が引用された詩編8編2節は、私に聖歌を教えてくださった桜井房江先生から聞いたみ言葉です。幼い頃、先生のピアノに合わせて小さなクリスマス・キャロルの本を開いて歌った喜びは、今も鮮やかに私の中にあります。そして今、ページェントで白い天使の衣を着た子どもたちが声を合わせて歌うのを聴き、天使役だけでなく子どもたち皆が、神様の喜びの便りを伝えるみ使いのように思えています。賛美とは神様からの賜物であり、神様が幼子に授けられる賛美は、儚いものでなく、地上における闇、まやかしに対抗する天からの砦であるのかもしれません。この声を無視しようとするかたくなな人間たちに、主は今この時も涙を流しておられるのではないでしょうか。新しい年、子どもたちと一緒に主イエスに出会う旅に出発したいと願います。


司祭 マリア 大和玲子
(長野聖救主教会牧師)

「わたしの家は祈りの家と呼ばれる。」―ナザレでいただいた恵み―

 1919年、英国聖公会からエピファニー修女会のシスターが来日、1936年に日本聖公会ナザレ修女会は発会しました。その修院である三鷹のナザレ修道院に、20年程前、初めて伺った時から、玄関には母マリアとヨセフとの間に御手を開いて立たれる、少年イエス様の像。聖家族礼拝堂の扉を開けると、そこには修女の方々の祈る後姿がありました。
 ナザレ(修道院)でいただいてきた御恵みを言葉で言い表すことはとてもできませんが、一つあげるなら、それは日に7度、定刻に捧げられる礼拝(聖務時祷・オフィス)です。初めて修女様たちが聖堂の左右の席から交互に唱える詩編を聞いた時、聖なるものを感じ、声を出すのが憚られました。のぶ霊母様から「(むしろ大きな声で)よく聞こえるように唱えてください」と言われて、修女の方々と共に心を向けて唱えてきました。後になって、詩編の交唱が共同生活の中で整えられていくものとお聞きしました。そして、期節ごとに日々定められた聖歌の美しさ。(『ナザレ修女会の記憶』68頁)静謐の中から発せられるその歌は、今も私の深いところに響いてきます。
 復活日までの数週間は修道院で大変大切にされています。この期間に受け入れていただいたことは私にとって何と大きな恵みだったことでしょう。通常の時であっても、玄関を入って右手の事務所前のフロアが、話をして構わない場所だと教えていただきましたが、大斎節は大沈黙となります。自由に話せないと聞くと、何と窮屈な、と思われるかもしれません。しかし、ここに来る人は、窮屈と真逆の、自由と希望を見出すのだと思います。私は滞在させていただく度、「ここは祈りの家」だと感じ、まさに主がおられる、故郷ふるさとナザレのように思われました。
 修道院のエピファニー館は、静想日リトリートを守り、主の前に憩う場所として作られたそうです。エピファニー(顕現)とは、目に見えない神様の御旨が明らかに示されること。ナザレ修道院が、日々の働きに疲れ、苦しむ人を迎え入れ、休ませ、御恵みに目を開かせてくれる場所であったのは、一生涯を懸けて主の御足もとに座って御教えを聞き、従う足を止めなかった彼女たちの祈りによるのだと思わずにはいられません。
 唱えられていたアンジェラスの祈りにこうあります。「…どうかわたしたちの心に恵みを注ぎ、み子の苦しみと十字架をとおして復活の喜びに導いてくださいますように…」
 今年6月の閉院の時まで、修女の方々が、世界のため、教会のため、私たちのために祈り続けられた年月と、主のお苦しみを苦しまれ、復活の喜びに導かれていたお姿を思った時、ナザレに示された恵みとは、復活の希望だったではないか、と思い至りました。御恵みは決して絶えることがないと。私たちは受けた恵みを絶やさず繋いでいくように促されているのだと思います。
 ナザレ修道院で唱えた頌栄
「栄光は|| 父と子と聖霊に
 初めのように、今も||
 世々に限りなく」
 今、神様と共にいる。そしてこれからも。
 私は今、教会で同じ祈祷書の祈りを唱えます。この祈祷文がどうかナザレであったように生きた祈りとされますように。そしてナザレ修道院が、これまでそうであったようにこれからも、祈りの家であり続けることを祈り続けます。

司祭 マリア 大和玲子
(長野聖救主教会牧師)

クリスマスの招待状

稲荷山くるみこども園では、この冬もクリスマス会のページェントが行われました。ページェントの始めに聖書朗読とお話をするチャプレンの私にも、手作りの招待状が届きました。練習が始まると、はちきれそうに元気な子どもたちの歌声が礼拝堂に響きます。望んだ役になれず、涙したと聞いた子どもたちも一生懸命頑張っています。衣装を着けた姿に、私が子どもの頃もあんな衣装だったと、当時の思いが鮮やかによみがえってきて驚きました。

普段元気な子どもたちが、本番が近づくと緊張した面持ちになります。イエス様のお誕生という大きな喜びの知らせを受け取ったマリア、ヨセフ、羊飼いらに、天使が「恐れるな」と語ったことが思われました。彼らは初め、驚き、恐れた。けれど神様からの知らせを受けて、簡単ではない旅に出発するのです。

見慣れたはずの子どもの顔、声としぐさが聖書の人物に重なり、聖書に記された出来事が生き生きと迫ってきました。ヨセフさんにはこんな表情もあったのかもしれない。二人で宿屋を一軒一軒たずねて歩き回るのはどんなに大変だったことだろう。小さいと思っていた子ども一人ひとりが意思を持って動く姿に、頼もしさを感じます。

本番当日、礼拝堂いっぱいに詰めかけたお家の方たちが見つめる中、白いコッターを着た年中の子どもたちの語りで物語が始まりました。年少の「星の子ども」たちが可愛らしいしぐさで歌い、年長の子どもたちが、ヨセフとマリア、天使たち、宿屋の主人たち、羊飼い、羊、そして博士を演じます。親切な宿屋さんは、「ほんとにお気の毒、うちはただいま満員で」と歌い、隣の宿屋を指さします。羊飼いと羊の歌が本当に素晴らしく、クライマックスで博士一人ひとりが宝物を捧げて歌う姿に、誰もが主役なのだと思わずにはいられませんでした。

クリスマスの物語は、それぞれの場所で生きる私たちへの、神様からの喜びの招待状と言えるのではないでしょうか。神様はきっとこんなふうに皆のことをかけがえのない存在として見ておられる。そして、クリスマスの主役、神の御子イエス様は、招かれる全ての命を輝かせてくださる。

脚本が素晴らしいと思ったのは、羊飼いと羊、博士、宿屋の主人たちが皆、「マリアさん、ヨセフさん、おめでとう」と言って、生まれたイエス様を拝みに馬小屋に来るところでした。天使も加わり、全員がイエス様を囲みます。「おめでとう」それはマリアたちだけが受けた言葉なのではない。「クリスマスおめでとう」とは、主があなたのところに来られた、神様がこの私たちのただ中に来てくださった、という喜びの挨拶なのだと気付かされる場面でした。子どもたちの声と姿、その命を通してみ言葉を聴き、見ることのできるページェントは、何とクリスマスに相応しいのだろうと思います。

先日、教会のクリスマスイブ礼拝に初めて来られた女性がいました。聞くとミッションスクールの卒業生で、「クリスマスらしいことをしたいと思って」と笑っていました。彼女もかつてクリスマスの物語を聞いたに違いありません。2020年も、主が私たちのところに来られた、この喜びをこの地で共に語り継ぎ、歌い続ける教会でありたいと祈ります。

執事 マリア 大和玲子
(長野聖救主教会牧師補)