『「聖公会とランベス会議」』 

5月11日、 聖霊降臨日に、 日本福音ルーテル教会と日本聖公会の合同礼拝が東京で行われました。 わたしはこの中で、 聖公会という教会を紹介する役目を頂戴したのですが、 神学生時代にルーテル東京教会で教会実習をさせていただき、 その教会生活を経験する中で、 聖公会という教会について改めて考える機会を与えられたわたしにとって、 とても嬉しい機会でした。
ご承知の通り、 聖公会は英国の 「国教会」 を母体にしています。 この教会の性格により、 教会は所属員の持ち物ではなくその地域全体に属するものであり、 その地域のすべての人のために存在するという理解を、 聖公会は当初から持っていました。 従って必然的に、 教会はその地域社会全体に目を配る責任を負うことになります。 また、 地域の人全員が来ることができる教会ということから、 特定の神学や思想に基づいて所属員を選ぶこともなく、 こういうところからも 「中道」 と言われる教会の性格が築かれてきたのではないでしょうか。 そして、 地域ごとに異なる性格を持った教会同士が互いに関心を持ち合い、 一つの大きな 「教会」 を形成するのが聖公会です。 わたしたちの尊ぶ主教制や教区制は、 こんな文脈で意味を与えられてきたのだろうと思います。
この特徴により、 聖公会は一方では幅広い人々を包み込む懐の深い教会ということになりますが、 一方では漠然とした玉虫色の結論しか出さない教会という歯がゆさも持つことになるかもしれません。 また、 自分たちの教会や地域の外側に関心が向きにくいということもあり得ます。 聖公会では、 この弱さの自覚のゆえに、 対話の重要さが常に強調されています。 そしてこのことは、 アングリカン・コミュニオンという考え方にも表れています。
今年の7月には、 10年に一度のランベス会議がイギリスのカンタベリーで行われ、 森主教も参加されます。 ランベス会議とは、 全世界の聖公会の主教達が集まって持たれる会合ですが、 この会議の決議に拘束力はありません。 だったら何のために集まるのか?という疑問が当然出てきますが、 ランベス会議のWebサイトでは、 「各教区の代表である主教が集まることで、 それらの教区がお互いに出会うことになる」 と言っています。 この、 異なる場所で活動する教会同士の出会いによって初めて、 わたしたちは教会となるのです。
地上の教会は、 神の完全な教会である 「普遍の教会」 の、 ある地域・ある時代における一つの具現化・現実化であり、 わたしたちもその一部です。 どの教会も、 自分たちだけで完全であることはできないのです。 ですから、 わたしたちは 「神の普遍の教会」 に連なるものとして、 お互いへの関心、 ことに地域的に隔たった教会への関心を失ってはならないのです。
「神よ、 聖霊の賜物をわたしたちに注ぎ、 ランベス会議に備える人々を知恵と理解とで満たしてください。 そして、 あなたの像に造られ、 あなたの愛によって贖われたわたしたちの人性に根ざす創造のエネルギーとビジョンとが、 自らのうちに働いていることを知ることができますように。」 (ランベス会議の祈り)

司祭 ダビデ 市原信太郎
(名古屋柳城短期大学チャプレン)