私には今に続く小学校から高校までの友人がいません。いつも「元気と明るさだけが取柄」と言われていますので、信じられないという人も多いかも知れません。小学校の高学年の頃から「牧師の子ども」であることに強い嫌悪感を抱きはじめ、表面的には明るく振舞ってはいましたが、内心は自暴自棄の状態が長く続きました。詳細は割愛しますが、何より当時の我が家では主日礼拝を優先するのが当り前でしたので、日曜日は好きなクラブ活動(サッカー)を試合であっても休まなければならないこともありました。それでも何故か牧師である父親のことは尊敬していて、直接不満を言ったという記憶はありません。中学生になるとサッカー部に入ることさえ叶わず、私は意識的にそれまでの仲間たちから離れていきました。学校の先生にも些細なことで反発しました。今思い返すと、かなり屈折した思春期を過ごしたと言えますが、そのような不安定な心の状態は徐々に解消されていったとは言え、地元の高校を卒業するまで続いたように思います。現実逃避していたと言われればそれまでですが、やはり私にとってこの時代のことは、できれば忘れたい、あまり触れたくない、隠したいというのが本音でした。
ところがこの夏、突然一本の電話が掛かってきました。「〇〇小学校出身のFだけど、覚えてるか?」。名前を聞いて、私はすぐに小学校時代のサッカー部の仲間だと分かりました。彼は小学校卒業と同時に東京へ引っ越したため、それ以来実に36年振りに聞く声でした。興奮した気持ちを抑えながら話を聞くと、以前から東京にいる小学校の仲間で同窓会(飲み会)を定期的に開いているとのことで、どうやらそこで「土井らしき人物が牧師姿でテレビに出ていた」という話題で盛り上がったらしいのです。それで幹事をしているFが事実確認をすることになったという次第で、更に「来週の水曜日に家族連れで軽井沢へ行くから会えるか?」との質問。その時の気持ちを上手く表現することはできませんが、とにかく経験したことのない心躍るような嬉しい気持ちに満たされ、「早く会いたい」という一心でその日を待ちました。不思議なもので、実際再会してみるとすぐに36年のブランクは埋まり、小学校時代の話に花が咲きました。その中で、当時の自分の思いも少し話しましたが、「へ~、そうだったんだ。あまり覚えてないけどね」とあっさりかわされ、「それより今度から土井も出てこいよ。みんな懐かしがってるし…」という彼の言葉に、それまでずっと心のどこかに重くのし掛かっていた大きな重りが瞬時に取り払われたような思いになりました。文字通り気が楽になったのです。
そのような経験を通して直感的に感じたことは、おそらくかつて主イエスに出会った人々も似たような思いになったのではないか。勿論もっと比べものにならない程の大きな喜びに満たされたのではないかということです。なぜなら聖書に描かれるそれらの人々の多くは、社会的にも宗教的にも軽視され、疎外され、神様の祝福を受ける価値のない者として差別され、自らの人生に積極的な意味を見出すこともできずに日々打ちひしがれていたと思うからです。そのような彼らにとって、いわば自分の負の人生をそのまま受けとめ、共感し、共に歩んでくれる主イエスの存在は、どれほどの慰めと喜びと勇気を与えたことでしょう。その後の彼らの人生観は一変したに違いありません。
私の生涯において予想も期待もしていなかった36年目の再会は、多くのことを学ばせてくれました。そしてこれからの人生が、恵みのうちに大きく広がっていくことを予感しています。次回の同窓会は12月に渋谷で行うとのこと。今から楽しみです。
司祭 テモテ 土井 宏純
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師)