47歳のときにそれまでのサラリーマン生活に終止符を打ち、牧師への道を歩み始めました。3年間、ウイリアムス神学館で学びましたが、勉強したからといって急に信仰深くなれるわけではありません。神学生としての3年間の生活の中で与えられたことは、自分の頑張りには限界があるという気付きです。もっとも限界まで頑張ったかどうかは疑問ですが。傍目には同じように頑張っているように見えたとしても、その頑張りが、神さまにゆだねた頑張りなのか神不在の頑張りなのかで、大きく違います。自分中心、自分を過信しての頑張りは疲れます。次第に息切れしてきて、もうだめだと倒れかけたときに、神さまからの静かな声に気付かされます。あれから14年…。
牧師は神さまから特別な恵みをいただいている、と思っています。それは何かというと、苦しみを伴った恵みであり、イエスさまの御苦しみに思いを馳せさせる恵みです。イエスさまは福音を告げ知らせるために、天の父によって地上の世界に遣わされました。イエスさまの福音とは、神はすべての人を愛しておられる、ということでした。たとえ律法(に付随する)戒律が守れなくても、「義人」でなくても、すべての人を神は必要としておられる、愛する対象として。御子イエスさまのまなざし、イエスさまのより多くの関心は「罪人」「病人」に向けられました。苦しみ悩む人びとに、その人間性の回復を告げられました。天の父の御心を地上に於いて具体的に表された御子イエスさまの言動は、当時の宗教的政治的指導者であるファリサイ派の人びと、律法学者、最高法院の議員たちにとっては許し難い、反社会的行為と受け取られました。
「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」(マルコ3・6)
実にイエスさまの地上の生涯は、ご自分に向けられた激しい憎しみとの戦いでもありました。誤った律法主義、人間が功績を積むことによって「義人」とされるという考え方は、「罪人」を生み出します。それは「赦し」とは正反対の「裁き」です。赦しは人を生かし、裁きは人を殺します。イエスさまは繰り返し人を裁くなと語り、ひたすら「罪人」を赦されました。「赦し」の行き着くところが十字架であり、愛の勝利である復活でありました。
もう一つ牧師の特別な恵みに「説教」があります。何年経験を積んでも説教を作るのはやはり大変です。苦しみ悩み求め続けて日曜日の早朝、ようやくできあがることがしばしばです。しかも努力と結果は結び付きません。でもこの説教を作るプロセスをとおして大きな恵みを与えられています。聖書熟読によって福音と向き合わされ、イエスさまへの憧れはますます強くなってきました。信仰の道は終わりがありません。命召されるまで迷って行ったり来たりのわたしでしょう。さて、神さまからの静かな声は
「大丈夫だよ、わたしはおまえを愛している。頑張っていようがいまいが、ありのままのおまえをわたしはとてもいとおしく思っている。だから力を抜いて、わたしのほうを向きなさい。わたしの愛を受け入れなさい。わたしにとって今のままのおまえが必要なのだ。」
司祭 イサク 伊藤 幸雄
(高田降臨教会/直江津聖上智教会牧師)