『2つの顔を持つ男 』

執事に按手されてから、約4ヶ月余の月日が流れようとしている。教会の周りにある木々もすっかり葉も落ち、積もった雪は融けることもなく、地面のあちこちに天然のスケート場が出来ている。

そんな季節の移ろいの中、自分の名刺を作ることとなった。指導司祭の土井宏純司祭からの提案である。軽井沢では教会以外にも、ミッションを通して町の行政の方など、様々な方と関わられた経験をされているから仰って下さったのだと思う。今まで自分は、名刺という物を持ったことがなかった。というよりも、持つ必要性が無かったと言っても過言ではない。そこで、名刺を作るのであれば、特任聖職である自分は、名刺を2枚持つよりも、両面印刷の名刺を作ろうという思いに至ったのである。つまり、片面は「日本聖公会中部教区・軽井沢ショー記念礼拝堂執事」であり、一方は職場の「東京都立多摩総合医療センター検査科」といった具合である。この名刺が出来上がった時には、何だか嬉しく思ったのと同時に、身の引き締まる思いを抱いたのである。つまり、この名刺は両面とも表であると実感したからである。

私には、心に残る医師の一人に、逆境の中で、富山県のイタイイタイ病の原因を解明・患者救済に立ち向かった地元開業医でもある萩野昇がいる。萩野は、イタイイタイ病が某企業からの廃水が原因であると発表するも、田舎医師の売名行為として医学界から非難される。しかし、アメリカで萩野の学説が正しいと証明されると、イタイイタイ病は日本で初めての公害病として認定されることになる。その萩野は、参議院産業公害特別委員会で参考人として、「私は単なる田舎の開業医でございます。日本の基幹産業を相手に戦おうというような気持ちは微塵もございません。ただ、一人の医師として患者が可哀相なばかりに、この病気の研究を積み重ねてきただけで御座います。痛い、痛い、先生なんとかして下さい、泣き叫びながら死んでいった中年の農婦たち、全身の激痛のため診察も出来ない老女の絶叫、主婦が寝込んだために起きた家庭の悲劇、あの人たちに何の罪があるのでしょう…、私はただ患者が気の毒だと思います。私はただ患者を助けるのが医師の宿命と考え、純粋な立場で、謙虚な気持ちで研究を積み重ねただけです。」と証言する。患者の苦しみを知り、患者を第一に考え医師としての信念を貫いた生き方は、社会的に弱い立場におかれた方に捧げた歩みでもある。

被献日の特祷の中に、「わたしたちも主にあってみ前に献げられ」とある。それはイエス様が神様に献げられたように、私達も神様に献げ、イエス様の御跡に従って歩むことが出来るようにして下さい、という思いが籠められているのではないだろうか。イエス様は社会的に端に追いやられた方と共に歩んでこられた。自分も、その後ろで色んな方に仕える働きが出来ますように、また苦しんでいる方の中にイエス様を見出せる力を与えて下さいと祈り続けたいと思う。2つの顔ではあるが、仕えるという働きにおいては、1つなのかもしれない。

執事 フランシス 江夏 一彰
(軽井沢ショー記念礼拝堂勤務)