松本聖十字教会の耐震補強工事も具体的に礼拝堂への改修が始まりました。まだまだ工事目標額まではいきませんが、とりあえず必要なところから始めて、クリスマスには聖十字幼稚園の園児が松本聖十字教会の礼拝堂で過ごすことができるようにと努力していますので、これからも献金をお願いできればと思っています。
さて、耐震補強工事の関係で、ある工事関係者の方とお話をしていましたら、公園のなかに神社もあり、役所がその公園の整備をしたら宗教関係者から訴えられたという話を聞きました。そして、その方は、「宗教というのは、こういう争いごとばかりするから嫌だ」と、そして、「あの宗教は良くてこの宗教はいけないというなら、イスラム国(編者注:同国を名乗る過激派組織ISILのこと)のやっていることと同じではないか」と語られていました。私は、とても複雑な思いで聞いていましたが、確かにキリスト教をはじめとして宗教とは、互いに尊敬し合い協力し合って、苦しんでいる人々に具体的な喜びをもたらすものであるから、自分の宗教の利益だけを考え、自分の宗教だけが正しくてこれを信じなければ救われないという絶対主義はおかしいと感じました。
このように言いますと、唯一絶対の神を信じるキリスト教に反していると思われるかもしれません。しかし、キリスト教の絶対性を超えて、不寛容と独善を克服し、宗教が互いに尊敬し協力して、苦しんでいる人々が必ず救われるということを知らせ、示していくことの方が大切であると思います。歴史をさかのぼれば、キリスト教も相当ひどいことをしています。だからといって、キリスト教にも良い面がたくさんあるのですから、そのような目で、神道、仏教、イスラム教、ユダヤ教の良い面をみていくことができるのではないでしょうか。
アメリカの臨床心理学者、カール・ロジャースは、「来訪者中心療法」を提唱していますが、そこで大切なことは、カウンセラー(援助者)は、クライアント(相談者)の言葉、考え、感情、説明、そのすべてを受け止めること、すなわち受容し共感することであると言っています。ここで注意しなければならないことは、受け止めることと受け入れることは違います。よく間違えられますが、受け入れるということは、なんでも「その通り」ということになります。ですから、ISILの信仰も「その通り」と言うと、奴隷や殺人も受け入れてしまうことになります。カール・ロジャースが言っていることは、受け入れるということではなくて、受け止めるということ、立ち止まるということ、共感し、対話をする用意を持つということです。他の宗教と対立し、自分の宗教の拡大だけを目指すのではなく、他の宗教と共感し、共生する道を選ぶべきであり、これこそ、キリスト教が平和の器になることであると思います。
司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(松本聖十字教会牧師、飯田聖アンデレ教会管理牧師)