自分が牧師の子どもであることに気付き、そのことを意識し始めたのはいつ頃だったのだろうか、定かではない。気付こうが気付くまいが、生まれた時から確かに牧師の子どもであった。両親の主イエス・キリストを信じる信仰のもとに幼児洗礼を受けた。
聖公会に連なる幼稚園で、多くの主イエス・キリストを信じる先生方に可愛がられ、楽しい日々を過ごした。大学に入り、家を出るまでの大半の時期は教会に隣接する牧師館に住んだ。教会に来る多くの信徒の皆さんは、いつもわたしたち牧師の子どもに優しく暖かいまなざしをもって接してくださり、心を寄せてくださった。そんな恵まれた環境の中に育ち、自分が牧師の子どもであること、一人のキリスト者であることを、何のためらいもなく素直に受け入れることのできた時期がしばらく続いた。日曜日には日曜学校に出席し、やがて堅信式を受け、高校生の頃からは日曜学校の先生もした。休まず聖餐式に出席して陪餐することは、わたしにとって至極当然のことであった。
しかし、そのことを初めて意識的に捉え、立ち止まって考えたのは、思春期を迎えた頃の日常生活、教会の外での学校生活の中においてであった。牧師の子どもが特異な存在であり、キリスト者であることが特異な存在であるとは、それまで考えてもみなかった。牧師の子どもは、多くのノンクリスチャンの友人たちにとっては特異な存在であったに違いない。日曜日には礼拝を守る、食前にお祈りをする、真面目、礼儀正しい、お人好し、反面、どことなく堅い感じ、融通がきかない、そんな印象を与えていたのかもしれない。もし、自分がそのように見られていたとしたらそれは心外だそんな思いも持って過ごしていた。
「牧師の子どものくせに、あんなことをして!」などと言われたりすると、いつの間にか、「牧師の子どもはかくあるべきだ、かくあらねばならない」、そんな呪縛に捕らわれて、いわゆる「良い子」になるために偽善的な言動をしてしまったこともしばしばであった。その呪縛から解かれるためには、かなりの年月が必要であり、いまだ完全に解かれてはいない。それは、ありのままの自分を受け入れることなのだが、それがなかなか難しいからに他ならない。
この4月、33歳になる長男を不慮の死で失った。
牧師の子どもとして生まれ、育ち、自分と同じような轍の上を歩いて来た息子の死は、わたしに厳しい問いを突き付けた。あなたはどこかで無意識のうちに、あるいは意識的に息子に対して、「牧師の子ども(キリスト者)はかくあるべきだ、かくあらねばならない」という枷をかけていたのではないかと……。
同じように、牧師として信徒に対しても信徒(キリスト者)はかくあるべきだ、かくあらねばならないという枷をかけてきたのではないかと。
そんな気負ったわたしの魂の深みに、主イエス・キリストのみ言が熱く優しく呼びかけます。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」と。(マタ11・28、29)
司祭 サムエル 大西 修
(名古屋聖マタイ教会牧師)