この8月末、私が理事長をつとめているキリスト教学校教育同盟の協議会が、京都にある同志社高校を会場にして開催されました。同志社高校は、何と言っても私の母校です。1981年に卒業して以来、周囲を車で回ったことはあったのですが、学校の中に入るのは、卒業以来の実に44年ぶりのことでした。
協議会は、同志社高校のチャペルで行われましたが、高校生当時、私はまだ洗礼も受けておらず、毎朝の礼拝欠席多数で校長訓戒まで受けたという不届き者でしたので、そんな私が高校チャペルの壇上でご挨拶をしているのも、何とも不思議なことでもありました。
2010年に校舎などが全面的に改築されたので、懐かしい建物はほとんどありませんでしたが、体育館の壁面に、「四方秀和MEMORIAL」という銘板を発見した時は、胸が揺さぶられました。四方秀和君は、私の同志社高校3年A組の同級生で親友でしたが、1985年の御巣鷹山、日航ジャンボ機墜落事故で亡くなりました。22歳の若さでした。東京の知人に会いに出かけた帰りで、初任給で買ったチェックシャツ姿のまま発見されました。
「息子の名前をつけた奨学金をつくって、後輩の子が息子のように楽しい高校生活を送る後押しがしたい」というご両親の思いを、私たちのクラス担任であった先生が受けとめられ、ご両親からの寄付金をもとに、1991年、四方秀和君の名前を冠した奨学金がつくられました。「四方秀和MEMORIAL」として、今もこうして彼の名前が同志社高校の中に刻まれていること、そして彼の死後ちょうど40年を経た記念の時に、彼の名前と再会できたことに、思わず落涙してしまいました。
私たちが、「逝去者記念の式」で祈るように、「世を去った者」と「今なお世にある者」は、このようにして確かに結び合わされているのだと、あらためて告げられた瞬間でもありました。