先日、高田降臨教会を訪問した時のことです。ベストリーに古い文書の入った小さな額縁が掛けられているのに気づきました。それには1910年12月4日の日付があり、「日本聖公会高田講義所」開設資金の3分の1は、カナダ・トロント聖ジョージ教会の篤信なる女性教役者の遺言による寄附であり、残りはトロント大学の「トリニチー學院」の神学生たちからの寄附であったことが記されていました。
1919年に来日し、後に岡谷聖バルナバ教会を創立したホリス・ハミルトン・コーリー司祭が、日本で最初に派遣されたのも、この高田の教会でした。私が、トロントにあるカナダ聖公会アーカイブスを調査した際に、コーリー司祭が当時のハミルトン主教に宛てた直筆の手紙を発見したのですが、そこにはこう書かれていました。
「高田、月曜日、2月6日、1922年。親愛なる私の主教さま。あなたの優しいお手紙に、心から感謝いたします。ハミルトン夫人が、素敵な本物のカナダのチーズを送ってくださったことにも、心からの感謝をお伝えしたく思います。懐かしい故郷の音が聴こえてきそうでした。私たちは、これまで、私たちの棒給で何とか生活できてきましたし、借金もありません。しかしながら、こちらに来て以来、常に、私たちの月給は、次のお給料をいただく10日も前には尽き果ててしまいます。例えば、私たちは、こちらに来てからというもの、服の一つも買えていないのです」
この一枚の書簡には、宣教師たちの、慣れない土地、決して豊かではない生活の中で、しかし、そのまさしくそれぞれに与えられた「ミッション」に、誠心誠意取り組む姿があります。今の私たちがあるのも、100年前のカナダ聖公会のみなさんの祈りと支え、そして、こうした宣教師たちの「苦闘」があったからこそであることを、心に刻みたいのです。