執事職と「太公望」

先月16日、大和玲子、大和孝明両聖職候補生の執事按手式が行われました。執事職は使徒言行録によれば食物の分配問題から派生した職務です。ギリシア語を話すユダヤ人クリスチャンからヘブライ語を話すユダヤ人クリスチャンに、自分たちの仲間の寡婦に対する食料の分配が少ないと苦情が出たのです。その問題に対処するために立てられたのが執事職です。食料の分配をいかに公平にするのか…それが執事の当座の務めでした。極めて現実的な務めです。

それで思い出すのが上田市の、あるタウン紙に掲載された「太公望」の話でした。中国の故事によりますと、当時の中国・周の国王が一人の年老いた釣人と話をしているとその老人が非常に博学であり、その人物こそ父王(太公)が望んでいた人物だろうというので「太公望」と呼んで、師と仰いだというものです。そこから釣をする人を「太公望」とも言います。

しかし、太公望の故事には別の説もあるというのです。それは太公望が肉屋であったという説です。10人くらいの人たちを相手に上手に肉を切り分けたのを見て、太公が気に入り、召し抱えたというものです。当時、分配をちゃんとやれる料理人はそれだけ尊敬されたということです。

執事職の起源が食料の分配をいかに公平にするのかであったことを考えますと、太公望の料理人説とも重なり興味深い思いがします。食料に関わらず、何事においても、殊に人と人との間の公平さを保つということはなかなか難しいことですが、新執事のお二人も最初の執事たちのように〝霊と知恵〟に満たされ、その大切な務めを十分に果たしてくださることを願っています。