暑中お見舞申し上げます。お体を御自愛ください。
数年前の5月のある夜、突然電話があり、上越市の直江津聖上智教会に行くように命ぜられ、それ以来同教会と関わりを持っている。
その昔、高校時代、担任の教師が青山学院出身の英語の教師であり、ホームルームや英語の時間に、英国事情・米国事情を話してくれた。又、Ernest Hemingwayアーネスト・ヘミングウェイの第一次大戦中のイタリア戦線を題材にしたFarewell to Arms
『武器よさらば』や、For Whom the Bell Tolls『誰がために鐘は鳴る』、メキシコ湾での漁師である老人と海の生き物との葛藤を描いたThe Old Man and the Sea『老人と海』を読まされ、平和について考えさせられた。これらのこともあり、高校3年時に進級する春、祖父が、当教区出身でA大学のチャプレンをしていたB司祭を訪ね、A大学の案内書を持ってきたが、青山学院に親しみを感じ同大学に進学した。
東京大学が入学試験を中止した年であり、大学紛争が激しかった時であった。聖公会の信徒も在学していた。
祖父母から「大学の近くの、大きくもなく、小さな教会に行きなさい」と言われ、門をたたいたのが大学から徒歩20分ほどの場所にあった渋谷聖公会聖ミカエル教会であった。閑静な住宅地にあり近くには広尾高校、実践女子大学、國學院大學、聖心女子大学があった。
聖餐式は歌ミサであり、高校時代まで過ごした上田聖ミカエル及諸天使教会と異なり、ウルトラ・ハイチャーチであり、眼を白黒、ぱちくりして出席していた。
地方出身の青年もいた。その中に、直江津聖上智教会出身のCさんがいた。彼女は、渋谷の広尾にある日本を代表する医療機関の看護大学に在籍していた。直江津に帰省し、上京した折、名物「笹団子」を頂戴した。時々、食事をしながら直江津の教会の事を熱い思いで話してくれた。
戦後、カナダ聖公会の援助のもと、アンダーソン司祭夫妻はじめ、多くの教師、信徒の方々により始められ、開拓伝道により設立されたのが直江津聖上智教会である。あの時から半世紀近くになる。まさか私が、直江津の教会と関わるとは思いもよらなかった。風の便りによればCさんは東北のある看護学校の教師をしているとの事である。
当教会については、時には林てる代先生、遠藤弓子先生の教えを受け、私自身なんとかやっています。
当教会の設立に関し、その取り巻く環境は非常に厳しいものでしたが、それにもかかわらず、その後、創意と工夫により、幼稚園を開園し、今子ども達の声で溢れています。
吉田敏子園長をはじめとして多くの先生方が、将来の日本を背負う子ども達のために熱意を持ち懸命に教育、保育しています。
イースター、クリスマスには、園の先生方も聖餐式に出席し、大きな声で、答唱、唱和し、聖歌を歌い元気が漲ります。今夏、子ども達のためのプログラムもたくさん組まれています。願わくば、直江津聖上智教会、聖上智幼稚園(現・聖上智オリーブこども園)が神の器として用いられますよう、神の栄光が一層増し加わりますよう祈っております。
(長野聖救主教会、直江津聖上智教会主日勤務)