祈りと実りと歌がある庭園

昨年度の飯山復活教会の教会委員会にて承認された今年度事業計画の一つは、テモテ田井安曇(本名:我妻泰)さんの歌碑建立でした。今年、前管理牧師から引き継いで6~7回教会委員会を重ね、歌碑建立について話を詰めてきました。田井さんについて出来るだけ多くの方々に知って頂きたいと考え、長野伝道区合同礼拝の日(9月11日)に歌碑除幕式を行うことを提案しました。教会委員会は勿論、「田井安曇の歌碑建立有志の会」(以下、有志の会)でもその提案が受諾されました。
歌碑を教会の敷地内に建てたいという希望は、最初は有志の会から出されたことですが、飯山復活教会としても、歌碑が建てられる教会の庭に新たな名前を付けて整備しようということになりました。単に教会の敷地の奥にぽつんと一つ歌碑が立っているのではなく、教会堂そして庭と調和するように考えました。
教会の庭には「ラビリンス」もあります。ラビリンスとは、古代ギリシャ神話の巨大な迷宮に由来するものです。しかし、ラビリンスは迷宮や迷路とは大きく異なるものです。普通の迷路は外に出ようとする人を不安にさせるものですが、教会のラビリンスは人を真ん中へと誘導するもので、ゴールが分かっているため平安な心で歩いていくことができます。真ん中に着くまでゆっくりと歩むことを通して、考えたり祈ったりすることができるようになっています。自分を振り返り自分をもっと愛する心を持つことがこのラビリンスの目的です。
『短歌』という雑誌の第53巻第12号に田井さんが書かれた文章があり、自分の人生には二つのアジール(救いの手)があったと記しています。その一つが「教会(司祭)」でした。具体的な名前まではありませんでしたが、書かれた年から寺尾平次郎司祭であると考えられます。寺尾先生は、牧師館の2階に何人もの人を住まわせていたのですが、その中に元海軍下士官で靴職人の高橋富士雄さんという方がいました。その彼が当時中学生だった田井さんに歌を教え、そんな関係の中で田井さんは歌人としての人生の方向が決まったと思われます。

蝉のこえ
充てる胡桃の木の下に
アンゴラと牧師と遊ぶ夕暮

田井安曇自選50首の一番前に載ったこの歌が歌碑に刻まれます。牧師という単語が出ていることを見ると、寺尾先生が田井さんの人生にどれ程大きな影響を与えたのかが分かります。
教会の庭園には柿やラズベリーなど、実を結ぶ各種の木々があります。そして美しい花々が咲き、風にそよいで自然に踊っています。歌碑はその中に建てられます。庭は単なる教会の庭ではなく、「祈りと実りと歌がある庭園」と命名されました。祈りのある人生によって多くの実が結ばれ、自然の中で希望の歌を歌うことができる、そんな道へといざなう庭園になればと思います。飯山復活教会を訪ねてくる方々が、たとえ一瞬でも幸せが感じられることを願っています。その中で歌碑は飯山復活教会の大切な物語を語り続けます。
(長野聖救主教会牧師、飯山復活教会管理牧師)