昨年8月9日、長崎原爆の日に長崎聖三一教会で行われた九州教区の長崎原爆記念礼拝に出席し、午後、日本聖公会のルーツを巡る短いフィールド・トリップに参加しました。
教会からオランダ坂を登った一角に、アメリカ聖公会最初の宣教師であり、日本聖公会生みの親の一人でもあるウイリアムズ主教(当時・司祭)が住んでいた家のあった場所があります。ウイリアムズ主教が住んでいた場所に立てるとは思ってもいませんでしたので大変感激でした。また、少し離れたところには聖公会最初の会堂(礼拝所)のあった場所もありました。(いずれも、〝ここがそうだ〟という案内の標識が立っているだけですが。)
更に、出島に行きますと、日本聖公会としてはもちろんのこと日本のプロテスタント教会最古の神学校でもあった「聖アンデレ神学校」が―現在は資料館として―残されていました。聖アンデレ神学校は1877年(明治10)、英国聖公会宣教師のモンドレル司祭によって建てられました。現在は解体・修理が行われ復元された建物ですが、当時の面影を偲ぶことができます。明治の初めに建てられた神学校が残っているとは知りませんでしたのでこちらも驚きでした。
長崎は日本聖公会の宣教が実質的にスタートした地です。ウイリアムズ主教をはじめ初期の宣教師たちはまず長崎に上陸し、日本伝道に向かったのでした。当時は各教派のほとんどの宣教師が長崎に上陸し日本各地に散って行きました。そういう意味では長崎は聖公会に限らずプロテスタント教会の宣教の出発点でもあるのです。
原爆の日に当たり、犠牲者を覚え、核のない平和な世界を祈りつつ、合わせて日本聖公会の草創期の宣教に思いを馳せたのでした。